どちらでもない圧倒的な時間

 

 

 

 

 

 

 

 

 

曇りのち晴れ。35度。

7時に起きる。

朝餉は、レタス・キャベツ・チーズ・カニカマ・バジルのサラダ、味噌汁(シシトウ・玉葱・人参・油揚げ・豆腐・キャベツ)、バタートースト。食後にコーヒー。

正と邪を往還する僕らは、そのどちらでもない時間に棲んでいて、そのどちらかの時間に飛び込んでみては安息を味わう。どちらでもない時間には味わえないことが、どちらの時間では味わえる。

あるときは比べて味わうし、正でも邪でも固有の味わいがあって、それもまた味わうに値する。

昼餉は、菓子パン、アイスコーヒー。

ジョギング、7.47キロメートル。

ただの善人は詰まらない、根っからの悪魔はもっと退屈だ。僕らの素顔は、どちらでもない。苦渋や後悔は、愉悦や陶酔と同じ重みがあって、どちらも深ければ深いほどいいと言われている。

だが、僕らはどちらでもない圧倒的になんでもない時間に棲んでいる。なんでもない時間には、意識がない。二百万年のあいだ、先祖がずっと安住してきた、なんでもない時間。

その時間に、僕らも今、棲んでいる。過去も未来もない、なんでもない時間の中。

なんでもない時間は、だが虚無ではない。僕らは働き、食べ、寝ている。それを時間とはもう呼ばない。ずっととどまっている、そこに僕らはずっと生きていて、そこでは誰も生まれてはこないし、誰も死んではいかない。ただ、働き、食べ、寝ている。

夕餉は、ヴィシソワーズスープ、サラダ菜・ピーマン・チーズのサラダ、鮭のクリームスープパスタ、ウィスキー・オンザロック。食後にチョコアイスとコーヒー。