孤独の孤独たる所以

 

 

 

 

 

 

 

 

晴れ、のち曇り。32度。

6時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、レタス・大豆煮・キャベツ・玉葱・トマト・カニカマ・チーズ・バジルのサラダ、味噌汁(小松菜・キャベツ・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、チーズとハムを挟んだトーストサンドイッチ、アールグレイ。食後にチーズケーキとコーヒー。

ジョギング、6.71キロメートル。

昼餉は、豆乳をかけたオールブラン、ザクロ酢ジュース。

巣立ったばかりのツバメの幼鳥が、あたりを飛び回りながら鳴いている。嬉しくてたまらない、そんなふうに聞こえる。翼をひるがえしては、軽々と弧を描けることに感動しているように見える。誰も邪魔できない世界がいきなり目の前に開けてたまげた、これからはずっとこの世界があるんだ、という感じなんだろうか。

『グレン・グールド 孤独のアリア』より――。

 

(前略)彼がひきこもってしまったことは、以下の点を見れば首尾一貫している。すなわちコンサート・ホールは音楽を聴くための最良の場ではない。さまざまなイメージが目の前にあり、それにともなって孤独が不在であるわけだから最良の場とはならないのだ。コンサートは不道徳的だと彼には思われた。なぜなら音楽は、神の場合と同じように、表象されてはならないからである。「快楽主義者」という語が彼の唇にのぼる時、この語は軽蔑の意味をおびた。芸術は悪を体現しうる。聴衆を前にしての演奏は聴衆のための演奏であり、聴衆によってもてはあそばれ、聴衆の道具になってしまうことだ。悪魔の奸計である。「芸術家は危険にさらされた存在だ」と彼は言う。(中略)グールドには夜眠らずに起きている人間特有の過敏なまでの識別能力がそなわっていた。未知なるものを侵入不可能なものと取り違えたり、不確定なものを曖昧なものと取り違えたりするようなことはなかった。

 

末尾の文章には驚く。

夕餉は、キュウリ・玉葱・人参・ハムのマカロニサラダ、オクラ・ナスの煮浸し、味噌汁(小松菜・人参・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯、赤ワイン。