寡作にふさわしいワケ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おおむね雨。29度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、レタス・キャベツ・チーズ・トマト・カニカマ・バジルのサラダ、味噌汁(キャベツ・玉葱・人参・ワカメ・油揚げ・豆腐)、バタートースト、アールグレイ。

『グレン・グールド 孤独のアリア』より――

 

(前略)実のところ、彼はモーツァルトの死が早すぎたのではなく、遅すぎたと考えていた。バーバラ・ストライザンドが「子供が生まれた」という曲で二種類の下降音階を歌うのを聞くと、金縛りに遭ったように、彼は言葉を失ったままになるのだった。都市を呪いながらも、彼は人生の主要な部分をトロントとニューヨークで過ごしている。北極圏の彼方の暗闇のなかで冬を過ごすことを夢みていたのに、トロントの、暖房でむせかえるようなアパートメントで明かりをすべてつけたまま寝ていたときに死が彼を襲った。ふたり以上の人間がいあわせる場面は好まなかったが、相手と一対一の関係ならばもっとも深い部分にかかわることができた。エキセントリックな人物だという噂だった。中心が、事物の核心が、中庸の道がどこにあるのかをよく知らないという意味ではたしかにその通りだった。彼の中心は彼自身とは別のどこかにあり、ほかの人々が思っている場とも別のどこかにあった。(中略)

 狂人だったと人は思うだろうか。そのとき狂人という語はなにを意味するだろうか。

 

著者のミシェル・シュネデールを本書ではじめて知った。千葉文夫さんの翻訳に負うところ大なのだろうけれど、示唆に富んだ文章が次から次へとあらわれる。いい意味で気が抜けない。それが心地いい。

フランスの経済省などで働いてのち文化省・音楽とダンス部門で主任担当官を務めた。一方で精神分析関係の研究誌の編集にも携わっている。音楽家の両親にピアノを仕込まれてもいる。グレン・グールドの研究に割いた時間は文章から窺い知れる。’89年のフェミナ・ヴァカレスコ賞を本書で受賞している。

古書店でなければ巡り会えないものの良い例かと思う。寡作の人なのだが、シューマンやマリリン・モンローに関する考察も書いている。

夕餉は、ズッキーニ・ナス・トマト・ハムのラタトゥイユ、卵焼きを添えたホッケ開き、味噌汁(小松菜・ワカメ・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯、赤ワイン。

今月の総括をば、アクティビティは12日。総距離は101.0キロメートル。スクワットとボディーブレードはほぼ毎日。