言わずもがな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。18度。

7時に起きる。

朝餉は、ヨーグルトと蜂蜜をかけたリンゴ・バナナ、大根・キャベツ・バジル・カニカマ・チーズのサラダ、味噌汁(ナメコ・キャベツ・ネギ・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、トーストサンドイッチ、アールグレイ。食後にコーヒー。

なにかを作り続ける人は、自分が本物か偽物かということと対峙せざるを得ない。作るという行為を許された者の、通行手形みたいなものだ。

それは言葉を変えれば、努力をしているのか、ということだと思う。人並みのことをやっていたら本物も偽物もあったものじゃない。どこかでそう思っているのが、本物というものじゃないかと誰もが考える。

年季を積む仕事は、見て盗むイロハのうちに、その心構えが数に入っていたはずである。

だが近ごろは、年季を知らぬ素人が習いたてでも表に飛び出していく。盗もうにも親方がいない。

人が減るというのは、そういうことなのかもしれない。

昼餉は、妻の作った焼きそば。

ジョギング、10.15キロメートル。西北西の強い風。

僕は父とは違う道を歩んだ。仕事のイロハを父から盗んだことはない。それでも、心構えはぞんぶんに盗めた。子どもは、親の姿から心の構えを盗んでいるものだ。親なら、その眼差しを感じないはずはない。

物事は逆にも作用するもので、親はその眼差しによって、やっと親になる。心の構えができていく。

人が減るというのは、作用の往還が減るということにほかならない。

仕事のイロハとは、口はばったいことだが、生き方のイロハのことだ。

夕餉は、味噌汁(ナメコ・サツマイモ・ネギ・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、カレーライスの残り、ビール、赤ワイン。

生き方のイロハをうんぬんすることを無粋という。人が減ると、無粋が表にあらわれる。

僕はそれがイヤでならない。