人の為ならず

 

曇り、日差しあり。27度。

8時に起きる。

コーヒー。

ゴミ捨てに行ったら、ゴミ袋を持って目の前を歩く老人につい声をかけた妻。

それ、持っていきましょう。

おぼつかない足取りを見たら、誰だってそうなる。だが、妻はそのあとで悩んだ。

数少ない運動の機会を奪っちゃったかな。

そういう葛藤アルアルを、これまた誰もが味わう。日本人アルアルかもしれない。

せっかくの運動の機会を奪うかもしれないと思うから、おじいちゃん、歩いてくださいね。

こんな言い方するくらいなら、おはようございますと挨拶して追い越すくらいでいい。

昼餉は、マーマレードを塗ったバタール、ミルク、胡桃の実。

朝のあいさつついでに、女の人から話しかけられて、それがありきたりの天気のことであったとしても、男は悪い気はしない。

カルシウム不足よりよほど深刻なのだ、会話欠乏は。

じじいアルアルではある。

夕餉は、玉葱とベーコンのアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ、麦茶、コーヒー。

当意即妙。会話の要諦は、歳とともに失われがちだ。話しかける側には、瞬発力が求められる。それは、だが、精神の高揚とか張りをもたらす。巡りめぐって、表情を作り出す。

話しかける側こそ、恩恵を受けていると思う。