底の底に眠るもの

 

晴れ。33度。

6時に起きる。

朝餉は、ヨーグルトと蜂蜜をかけたヨーグルト、サニーレタス・玉葱・竹輪・カニカマのサラダ、ナス・シシトウ・シメジ・小松菜のポン酢炒め、トースト。食後にコーヒー。

妻は外出。リネンの黒いワンピースに赤いネックレス。クワイアの稽古やら旧交を温めて遅くに帰宅。

そういえば妻は昨日、眼科へ行った。薬が切れかけていた。緑内障の進行は止まっているという見立て。顔がいくらか明るい。

ジェイソン・ベイトマンが製作から監督・主演まで大忙しのドラマ『Ozark』。シーズン3を少しずつ見ている。メキシコの麻薬カルテルの資金洗浄を裏稼業にする家族の話。家族に隠し事ナシ、綺麗事で済まさずの世界を描いている。果てしなく続く綱渡りの日々に、僕らの日々を重ねる。

だが、吸い込まれるように見てしまうのは、カルテルの親玉だ。彼の行動原理がとてもピュアなことに驚く。どんな世界であろうと、生き残って頂点に立った者にはプリンシプルがある。それを知ることは、人生の重たい扉を開くようなものだ。汚れたビジネスに手を染めていようと、人生における純度は誰よりも高い。

シーズン3では、親玉が主人公を問い詰め続ける。「お前の望みはなんだ」と。主人公が涙ながらに話すことを即座に見破る。

「嘘をつくな。望みを言え」

親玉は、執拗に問う。

昼餉は、トースト、コーヒー。

主人公の「望み」は他愛もないことなのだが、その中身より重いものがある。「望み」という形態を保持していること、それを単刀直入に吐露できること。親玉が見ているのはそこだけだ。

「望み」という行動原理があるかないか。ヒトの基底を峻別することを親玉は端的に突いてくる。

夕餉は、カップ麺、玄米ご飯。

主人公が涙ながらに言う。大切な妻や子どもたちのところへ帰りたい、と。彼らの存在こそ人生における希望なのだ、と。

親玉は言う。「嘘をつくな。望みを言え」

このシーンが、たまらない。

Appleが先週リリースしていたmacOS Bis Surのパブリックベータβ6がやっとダウンロードできる。リクエストにサーバーが応答しなかったワケは不明だ。audioMIDI設定に残っていた大きなバグが取れている。

 

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