Quality of Lifeの正体

 

くもり。16度。

6時に起きる。

朝餉は、ヨーグルトをかけた柿、人参のグラッセ、ほうれん草の胡麻和え、いただき物のキノコを入れたクリームシチュー、ご飯。

ご飯の量をすこしずつ減らしている。おかずの品数も、量も。

買い出し。3軒はしご。ケアマネさんが糖尿病のご飯にと勧めてくれた『こんにゃく米』を探して、見つからず。

母は、僕なら三口くらいで食べてしまうご飯を、小1時間かけて食べている。昨日、Quality of Lifeということについて、ケアマネさんが語った。全部を話さなくても、すぐわかった。途中で遮って、その価値観は僕も同じですと言った。額面通りの療法と、残りの人生をどのように過ごすかという選択肢の提示。

僕らは、両親のQuality of Lifeを問われている。しかし、母は今のところ、糖尿病食に前向きだ。ボケはじめているので、そのうち、わけがわからなくなるだろう。そのとき、優先順位を選ばなければならない。

昼餉は、豆乳、ミルク、ピザトースト。

大きな台風が関東から北上する。自宅がどうなっていることか。女房も実家に戻っていて事無きを得た。

来る日も来る日も、食っちゃ寝を繰り返している両親にとって、Quality of Lifeとは。その不健康さには言葉を失うが、これも終活といえなくもない。見方によっては、今世に飽き飽きしている。生をまっとうしているのに、まだ生きている。そんな余り物のような日々に見えて仕方ない。

こんな人生が最後に待ち受けていることを、Quality of Lifeで説明できるだろうか。

母は、大きな淵を覗き込んでいる。諦めという名の、大きな淵。

夕餉は、朝の残りのクリームシチュー、ご飯。