晴れ。21度。
6時に起きる。
朝餉は、柿とりんご、大根おろし、切干大根、レタス・トマト・コーンのサラダ、味噌汁(人参・玉葱・エノキ・カボチャ・豆腐)、親子丼。
庭に姉が育てたミニトマトの数が半端ではない。埒が明かないとは、このことか。
真駒内までバスで買い出し。街路に紫陽花が咲いている。カラッとした空気のなかでは花の色も単調に見える。
遅い昼餉は、とうきび、イカフライ、海老の刺身、豆腐、朝の残りの親子丼。僕は抜き。
半分は寝ている両親の1日は、起伏のないだだっ広い平原に立っているような茫洋とした気分ではないかと。わずかな刺激があれば、と思うのはこちらの都合なのか。そのあたりの塩梅がわかるには、どれくらいかかるだろう。
夕餉は、あるものを適当に。ここへ来てから、食欲がなくなったのはどうしてだろう。ずっと座ったままの両親のほうがよほど食う。ただ、母は糖尿病が進んでいるし、父はちょっと動くと呼吸が乱れる。二人とも齢90を超えているので、あれこれ言うのもどうかと思う。
女房とメッセージをやりとりしていると、なんだかあの世と交信しているような気分になる。もし先立たれたら、心の中でメッセージのやりとりをして寂しさを紛らわすのだろうか。「何言ってんでしょ」と早くも、女房の声が心のうちに聞こえてくる。そうやって、人は寂寞とともに身を横たえていくのだろう。