1917

 

 

 

 


晴れ、のち曇り。34度。
7時に起きる。
朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、サラダ(サニーレタス・トマト・キャベツ・グリンピース・バジル・チーズ・カニカマ)、味噌汁の卵とじ(オクラ・シメジ・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、ピザトースト、冷茶。食後にコーヒー。
妻はクワイアの練習や、シニアチームのアテンドに。夜遅くに帰る。
『パリ・レビュー・インタビュー』よりイアン・マキューアン——

——大学に入ったのはどうしてですか? 将来なにになると思ってました?
マキューアン 文学を聖職みたいに考えるようなことは一年目で消えた。たんに教育を身につけようとしているんだと思うようになっていた。でも、書くことに夢中になりだしていた。よくある話で、作家になりたいという思いだけがあって、なにか書きたいことがあるわけじゃなかったんだけどね。卒業してからだよ、イーストアングリア大学に新しいコースができたことを知ったのは。そこに入ればアカデミックな研究ともども小説が書けるらしい、と。大学に電話したら、驚くべきことにマルカム・ブラッドベリが直接でてきた。そして「でもねえ、小説部門はなくなったんだよ、応募者がいなかったんでと言われた。そのコースの一年目だったんだ。だからこっちは「じゃあ、ぼくが応募したらどうなります?」と訊いた。「それじゃあ、お出で。話をして決めよう」
 ラッキーだったね。あの年——一九七〇年——がぼくの人生を変えた。三週間か四週間に一編、短編を書いては、大学があるノリッジのパブで三十分マルカムに会った。そのうちアンガス・ウィルソンにも会った。ふたりともだいたい激励してくれて、ぜんぜんちょっかいは出さなかった。とくにアドバイスもくれなかったけどね。でも、それで十分だったよ。バロウズやメイラーやカポーティやアップダイクやロスやベローについてのレポートも書かされたけど、かれらの存在も啓示だったなあ。当時、アメリカの文学はイギリスの文学よりもはるかに活気があるように見えたから。野心といい、パワーといい、ほとんど隠そうとしない狂気といい。そんな狂ったようなところをぼくなりにささやかにでも真似したくてね。イギリス的なスタイルやテーマは灰色に思えてもいたから、そういうのじゃないものを書きたかった。極端なシチュエーションと狂った語り手と猥褻さとショックを探し求め、そしてそういうものをていねいできちんとした文章のなかに収めようとした。『最初の恋、最後の儀式』のほとんどはその年に書いたものだ。

マキューアンは一時期、剽窃やプロットの盗用で騒がれた。作家への傾倒に触れている部分は示唆に富んでいる。ぼくの本棚には『贖罪』と『アムステルダム』があるはずなのにどちらも見つけられない。古書店へ送ってしまったのかも。
ジョギング、5.11キロメートル、最大心拍数127bpm、最高速度6.7kph。脚がけいれんする。漢方を飲む。
遅い昼餉を兼ねた夕餉は、冷やし中華、ウィスキー・オンザロック。食後にかりんとう、アイスコーヒー。
映画は、サム・メンデス監督『1917 命をかけた伝令(原題:1917)』。第一次世界大戦を描いている。公開時に評判になった全編をワンカットで撮影したかのような長回しが逆に気になってしまう。巧妙に編集されているその手法が物語への没入をどこかで妨げるのだ。大戦に従軍したメンデス家の祖父が、孫に語って聞かせた戦争の話が映画を支えている。最後に流れるクレジットの冒頭に捧げた名前が掲出される。それにしても、伝令に「命をかけた」は余分だろうに。
Appleは、OS群の開発者バージョンをアップデートしてβ7をリリースした。