無造作の溢れでるところ

 

 

 

 

曇り。24度。
7時に起きる。
朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたキウィ・バナナ、サラダ(リーフレタス・サニーレタス・キャベツ・トマト・インゲン・チーズ・バジル・カニカマ)、味噌汁(蕪の葉・インゲン・油揚・豆腐・玉葱・人参)、卵トーストサンドイッチ、アールグレイ。食後にコーヒー。
ピーター・バラカンさんの書斎を取材したちょっと前の記事が記憶の片隅に残っている。書斎にも廊下にもCDやLPレコードが溢れていた。でもびっくりしたのはオーディオ装置だった。ちょっとオフセットしたHarbethのブックシェルフが机の両端に置かれていて資料やレコードなんかが上に積まれていた。小ぶりの椅子の背後にCambridge AudioのCDプレーヤーと40年くらい前のPioneerのレコードプレーヤーがCDに埋もれるように置かれていたとおもう。どこにでもあるようなちょっと古い装置だった。大きな窓に向かって置かれた奥行き60センチくらいの木のテーブルに並んだHarbethはちょっとくらいオフセットしても真横から音が聴こえただろう。ま、要するに無造作だったわけで、びっくりしたものだ。圧巻と呼びたくなった。プライオリティがわかっている。時間をかけるべき勘所がわかっている人だと直感した。リスナーの環境はさまざまだが、最大公約数はバラカンさんの装置くらいかもしれない。彼がそんなことを意識しているのかわからないけど。
圧巻の無造作でも、それが心地良さそうだったのは音楽への愛着に満ちていたからだとおもう。ぼくらの暮らしに音楽は不可欠だが、どこかで流れていればとりあえず安心する。バラカンさんが音楽をおもに聴くのはクルマだという。普通のカーオーディオで聴くのがいいのだと。好ましい向きあいかただな、とおもったものだ。
昼餉は、妻の買ってきた黒胡麻アンパン、コーヒー。黒胡麻アンパンは、武蔵小山・パルム商店街のこみねベーカリー製。薄皮のパンに隙間なくはいっている餡はこしあん、つぶあん、ごま、うぐいす、くり、さくら、りんごなど。どれも絶品。
ジョギング、5.85キロメートル、最大心拍数139bpm、最高速度10.3kph。
JBL4343なんかと対峙するのはつかれる。どこか痛々しくもある。音がどうの、分離がどうの、気になりだしたらとめどない。それも大事かもしれないけど。
無造作は、ある意味で集中している方向への結果論なので目指してできることではない。一方で結果はあきらめへとつうじている。無造作とあきらめは表と裏の関係なのだ。脇道へそれている時間がないから、とりあえずあきらめるしかない。そういうこともあるだろう。他方に注いでいる愛情の強さが、その無造作にも漏れあふれている。本来の無造作は、そうありたい。
FMラジオのバラカンさんの番組を聴いていたら、そんな彼の書斎の風景を思い起こした。ちなみに、番組はこのあいだ他界したデビッド・サンボーンの特集で、彼がセッションマンとして参加した楽曲をリスナーのリクエストを織り交ぜて流していた。いい特集だった。
夕餉は、インゲンのペペロンチーノ、ナス・トマト・ズッキーニのラタトゥイユ、塩サバ焼き、味噌汁(蕪の葉・インゲン・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯、ビール、ウィスキー・オンザロック。食後にコーヒー、食パンの耳のラスク。