Dance、Dance、Dance

雨のち曇り。6度。
9時過ぎに起きる。
遅い朝餉は、バナナ、トースト、豆乳、白湯。
事あるごとに女房が嘆くのは、近頃の家電製品が頼りないということ。国産のメーカーがしのぎを削っていた頃はこんな壊れ方はしなかった。素材の厚みがあって、部位がしっかり組み付けられていた。昨今のは薄っぺらで、ぺなぺなしている。動きがスムーズじゃないと。
僕が思い出すのは、まったく同じことを昔の米国人がよく言っていたということ。米国製は無骨だったけれど丈夫だけがウリで、安心だったと。
往時を偲ぶとき、美化は加速する。美化はあらゆるモノに及ぶ。僕らは過去を美化し、今を嘆く。
昼餉は抜き。
昔は良かった--いつの時代もそう言われるが、今ほどではないような気がする。
夕餉は、コンソメスープ、チャーハン、白湯。
相変わらずの製法で、相変わらずの人々が作っている。それが何かの担保でもあるかのように珍重される。流通ルートに乗らない、量をさばけないモノたちが、ネットで世界と取引している。
この時代に質を誇るのさえ、どこか胡散臭くなってしまった。
買うより捨てよと言われる。量でも質でもない、無こそがいい。それも性向なのかもしれないが、それさえ使い古されつつある。
僕らは踊らなくなって久しい。踊らされることに喜んでいた時代は彼方にある。