汚れたガラスと老人

くもり。暖かい。
六時に起きる。
朝餉は、レタスとキャベツ、ピーマン、コーンのサラダ、林檎、バナナと蜂蜜入りヨーグルト、味噌汁(大根、人参、玉葱、エノキ)、トースト、アールグレイ。
女房の弁当は、卵焼き、焼き鮭、挽肉の蓮根はさみ揚げ、レタスとピーマンのサラダ、かまぼこ、雑穀米ご飯の弁。
食堂でキーを叩く。
リュック・ベッソン監督「マラヴィータ」(原題:The Family)。ロバート・デ・ニーロとミシェル・ファイファーが証人保護プログラムで逃げ回るマフィア夫婦を演じている。トミー・リー・ジョーンズがFBIの担当者役。
ベッソンの脚本はとぼけている。カラッとしていて、逃亡譚につきものの哀感を感じさせない。ちょっと鼻につくけど、まあ、それは勘弁できる。学校新聞に息子が何気なく書いた昔の親分の語ったジョーク。逃亡先のフランスのノルマンディから巡り巡って、その学校新聞がアメリカの監獄にいる親分の手にするところとなり、親分は逃げた場所の見当がつくあたりから、とぼけた味が逆に色褪せていく。
偶然の巡り合わせ。人生には必ずついて回るものだが、それに気づくか気づかないかが分かれ目となる。マフィアの親分はデ・ニーロに売られて監獄入りとなった。親分だけあって、牢屋でもそれなりの暮らしをしている。差し入れの密造酒の瓶を覆っていたノルマンディの学校新聞を「フランス語の新聞か。どれどれ」と頁を繰り、その昔、自分の作ったジョークが載っているのを発見するのだ。「奴の居場所がわかったぞ」――そういうたまたまの発見のことを、セレンディピティと呼ぶ。イギリスのホレス・ウォルポールの発明した言葉だ。
映画の冒頭。逃げる家族が深夜に辿りついた家には、庭に大きな温室があった。そこを占拠しているガラクタをデ・ニーロが片付けはじめてすぐ、一台のタイプライターを見つける。ブラザーの手動式のだ。彼は、半分くらい片付いた温室の机にそれを置くと、キーをひとつひとつ叩きはじめる。最初に自分の名前から。
ガラス張りの温室の外はとりとめなく広がる庭だ。隣近所への挨拶をどうしよう。今度の職業は作家にでもするか。デ・ニーロは油の切れた歯車をすこしずつ回すようにしてマフィアの物語を紡ぎはじめる。そのあたりの滑り出しは、とてもいい感じだった。なにより、天井が二階に届こうかという古ぼけた温室がすてきなのだ。
昼餉は、弁当のおかずの残り、味噌汁、雑穀米ご飯。歌舞伎揚げ。
女房は八時過ぎに戻ってきた。義母は相変わらずだが、微熱が取れない。
夕餉は、おでん。清酒をすこし。