半分、御役御免

おおむね晴れ。
四時すぎに起きて、あれこれ。
こちらに来て二十日になる。暮らしと呼べるものなど欠片もないが、気づけばあっという間に過ぎている。
母が退院した。さあ、いつでも帰られるというのに、母は躊躇した。重篤だと思い込んでいたところを肩すかしを食らったのだろう。猜疑心が強くて、あきれてしまう。帰り支度を姉に任せて、僕は父のところにいた。
帰り際、母は父の病室に来て、父と挨拶をし、握手をしてから病院をあとにした。
歩行訓練を怠っていたから、母はロビーまで車椅子を使った。できることは自分でやりなさい、と言うたび、僕は厳しすぎると母は言ったが、家では姉がかしづいてくれる。箸の上げ下げまでやろうかという勢いだ。ずっとそうやって暮らしてきたのだろう。
僕の出る幕は、これまでそうだったように、これからもない。
僕のぶんまで姉にやってもらうつもりはない、と言って食事の支度を拒んだ。二人の病み上がりを前に、僕の世話までかけたくない。
できれば、宿を取って距離を置きたいくらいだが、この時期の札幌はどこも満員だ。
帰省すればお客扱いされてきた。陰に回ってさまざまに言われ、家を顧みない親不孝者というレッテルを貼られた。今さら挽回しようとも思わない。せめて、放っておいてもらいたいのだ。
父の退院までは我慢しようと思う。
姉弟二人しかいないのだから、どうか私のためだと思って仲良くやって、と母が僕に懇願する。姉も、お前のせいで母は体調を悪くする、という言い方だ。
どうか、放っておいてほしい。
押し売りされ、人質を取られ、恫喝されるのは、もうごめんだ。
女房は、義姉と話し合って仲直りしかかっているという。義母はますます認知症が進んだと。
夕方、三キロをジョグ。