雨の曲

雨のち曇り。
六時に起きる。
朝餉は、カボチャとキャベツ、小松菜、シメジ、人参、竹輪と薩摩揚げの卵とじ、ブロッコリーのマヨネーズかけ、味噌汁(大根、人参、油揚げ、豆腐、エノキ)、トースト、バナナミルク、お茶。
女房の出勤日でお弁当を。
出社して仕事。
昼餉は、お弁当おかずの残り、納豆、ブロッコリー、玄米ご飯。食後に煎餅。
Bebu Silvettiのアルバム『World Without Word』を聴き返している。七十年代のヨーロッパ的香りが満ちてくる。雨の曲はどれもいい。彼を有名にしたSpring Rainはもちろんだが、Summer RainもWinter Rainもだ。彼がヨーロッパ的なのはスペインの植民地だったアルゼンチンに生を受けたことで逆に気質が培養されたからだろう。
ヨーロッパは高度に作法化された多民族の地域だが、そのエキスは社会化という普遍性の構築にあるのだと思う。EUがただ膨れあがっていくだけなら大したことはないと思っていたら、イギリスがしっかり離脱した。一枚岩にはならない。それこそ多様化という普遍性だと僕は妙に納得したものだが、うちにそういうアンチテーゼを抱え込むことで普遍性はより深まると僕は思う。要するに一筋縄ではいかない。それが普遍性に対する答えであることをヨーロッパは内包している。矛盾をはらんでいなければ、得られる普遍性は予見できる範囲でしかないのだ。
日本人がある種の作法を構築することに血眼になるのは、自らの普遍性を自らの手で培養せざるを得なかった諧謔性に依っている。
夕餉は、きんぴら牛蒡、肉ジャガ、卵とじ、味噌汁の残り、玄米ご飯。食後にクッキーと珈琲。