文字、あるいは外部記憶装置のこと

 

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。11度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナとリンゴ、キャベツ・大根・竹輪のサラダ、味噌汁(玉葱・人参・大根・キャベツ・小松菜・ネギ・油揚げ・豆腐)、レタス・ハム・卵のトーストサンドイッチ、アールグレイ。食後にチャイティー。

桃の節句。アイリーン・グレイの丸いサイドテーブルに、妻がお雛様を飾っている。添えた雛あられをいただく。

小林秀雄著『小林秀雄全作品28』より昭和54年から抜粋――

 

 エヂプトの神々の中に、いろいろな技術の発明で知られた神様があった。特に文字の発明で注目の的になっていたが、その神様が、都に出向き、エヂプト王の神様に、この発明を披露し、意見を求めた事があった。(中略)王の神様は、ほぼ、このような答えをしたという、――技術の発明が出来る人と、その技術が、これを使う人々に、どのような利益をもたらすか、或いはどのような害を与えるかが判別出来る人とは別人だろう。文字のの能力について、君には生みの親の欲目がある。文字の発明の御蔭で、誰も記憶力の訓練が免除されるから、皆忘れっぽくなる。書かれたものに頼る人々は、物を想い出す手段を、自分達の外部を探って、自分達には何の親しみもない様々な記号に求めている。自分達の内部から、己れの力を働かせて思い出すという事をしなくなる。そういう事であれば、君の発明した文字という薬は、記憶の働き自体には、何の効き目もないだろう。むしろそれは、忘れた物に気がつくきっかけを提供するに過ぎまい。これに迂闊でいる君が、君の弟子達に与える智慧にしても、ただ智慧らしいもので、本物の智慧ではないという事になろう。君の弟子達は、確かに、君の御蔭で、親しく教えられなくても、物識りにはなる。何も知らない癖に、何でも知っているとうぬぼれるようになる。学者にならず、えせ学者になったような、そういう連中とのつき合いも、容易な事ではあるまい、云々。

 

昼餉は、抹茶クリームの菓子パン、チャイティー。

小林秀雄は、ソクラテスが話したこの小話を、文字の出現に関する本居宣長の見解を極めて自然に連想させる、と書いて二人が「心を開いて人々と語るのが、真知を得る最善の道」という点で合致していると述べている。

夕餉は、人参のグラッセとマッシュポテトを添えた鶏ひき肉ハンバーグ、味噌汁、玄米ご飯、赤ワイン。食後のかりんとう、焙じ茶。

文字には文字の効用がある。それはソクラテスも本居宣長もわかっている。それでもなお、というところを読み取れるかが試される。