固有の様式

 

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。10度。日差しは春。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナとリンゴ、味噌汁(蓮根・レタス・キャベツ・玉葱・人参・油揚げ・ネギ)、玉葱とハムのゴーダチーズトースト、アールグレイ。食後にチャイティー。

妻は人間ドックの追加検査を受けに。

洋画と日本画における様式は、ユーラシア大陸の両極端を浮き彫りにするなにかを象徴している。オーケストラと和楽器の様式も、おなじベクトルで語られる。

幾重にも重ねていく混淆の妙と、くっきりとした輪郭による此岸と彼岸のような空間把握。

それは言葉にも見つけられる。この国の言葉は純粋培養されてきた曰く言いがたい儚げに依っている。流れ込んできた漢字とは別の、話し言葉が持っている哀れな響き。

僕らの耳は、その響きを絵にも音にも入れ込んできた。

昼餉は、妻と待ち合わせてモスバーガーへ。ハンバーガー、紅茶。

ちょっとの飛躍が許されるならば、それは椅子の造形にもあらわれている。たとえば宮崎椅子のイノダスヴァイエのDC9やDC10には単一の材料をただ削っていく先に立ち現れる曲線の塊として存在している。

ビスとか釘といった金属の介入を拒み、木どうしの接合を限りなく廃した枯淡の潔さ。

夕餉は、餃子、卵スープ、キャベツ・レタス・もやし・玉葱・人参・ハムの焼きそば、赤ワイン。食後に妻の作った抹茶ムースのホイップクリームがけ、ピーナッツ。

大陸から届いたさまざまな様式を僕らは取り込んできた。それでも生き残り、脈々と流れている血について僕らはさまざまな手法を駆使してカタチにしている。この国が作り出し、純粋培養した様式のことをずっと考えている。体が求めているそれらの様式を、僕たちは見究めて暮らしているだろうか。