広がる沃野のように

 

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。7度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、キャベツ・大根・カニカマ・アオサのサラダ、味噌汁(玉葱・人参・油揚・豆腐・キャベツ・小松菜・白菜)、ハムと卵のトーストサンドイッチ、アールグレイ。食後にチョコレート。

妻と散歩。行き慣れない駅のほうへ。

武蔵野の端っこのほうは、寒々としてとりとめない。そう見えるのはこちらの心象のせいだが、景色に八つ当たりしているようで申しわけなくなる。

その駅は学校の跡地を中心にして大きな開発が進んでいる。2年後にはすっかり今ふうの街並みが出現するらしい。たくさんある街のひとつに埋没したら、手持ち無沙汰の老人たちが集う令和の姥捨山になっていくんだろうか。

昼餉は菓子パン、ジンジャー・ターメリックティー。

古書が届く。沢村貞子著『貝のうた』(河出文庫)、沢村貞子著『わたしの台所』(光文社文庫)。

沢村さんのエッセーは、暮しの手帖に寄稿したのがもとになっている。よほどのことがない限り刊行は暮しの手帖社なのだが、文庫化に際しては同社の手を離れて版元がバラバラになる。

ちなみに、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した『私の浅草』に掲載の絵はすべて暮しの手帖の花森安治編集長の手になるもの。花森さんのグラフィックはこれも一品である。

沢村さんは「はなしにきく猿若町の小芝居の名門宮戸座の、奥役をかねた座付作者の子に生まれた」(評論家・矢野誠一)ところの血が文章に脈打っている。これに日本女子大学に学んだ学問好きの血が隠し味として行間を潤している。江戸っ子らしい気風は、下町がはぐくんだ。

近ごろ、下町に培養された江戸っ子の文章はめっきり読めなくなった。噺家でさえ数えるほどだ。あとがきの文章――

 

 数かぎりない人間が泡のように浮かんでは消える世の中に、たかが脇役女優がどの道をどう歩いたとしても、格別、世間の人には興味がある筈もない。私自身も、毎日の暮らしに追われて、ほとんど過去を振り返らなかった。思い出したくない幾つかの傷あとが、そこにあったせいかも知れないが……。

 

乾いたこの視点を支える言葉こそ、僕らが探しているものの核心といえよう。中略をはさんで文章はさらに続く――

 

 まるで、もつれた糸のとき口がみつかったように、一本の細い糸にあれもこれもとさまざまなことがつながって、そのまま昨日のことのようにハッキリ姿をあらわした。もしかしたら、自分では振り捨てた筈のそれらの思い出は心の底に重なりあい、じっといきをつめて、この日の来るのを待っていたのかも知れない。

 女優の仕事の休みの日、家事のひまひまに三枚五枚と書くうちに、あまりに生一本で幼稚な下町女の姿がはっきり浮き出てきてわれながら恥しく、(まあ、一生懸命生きてきたのだから堪忍して……)と誰にともなく言い訳したりした。

 

乾いているのは表層だけで、そのすぐ下の層には滋味が眠っている。

夕餉は、白菜・糸こんにゃく・焼豆腐・鶏肉団子・人参の豆乳鍋、玄米ご飯のおじや、ビール、赤ワイン。食後にピーナッツ、焙じ茶。