向こうからやってくるもの

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。10度。

8時に起きる。

朝餉は、ツナ・キャベツ・大根のサラダ、味噌汁(ほうれん草・大根・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、ハム・ピーマンのチーズトースト。食後にコーヒー、クッキー。

AEONからカードが送られてきた。いまさらゴールドカードを頼んだ覚えはない。年間の利用金額の多寡によってAEONが判断したのだと書かれている。年会費は無料のままアップグレードされ、あれこれ特典が付いてくる。空港のスーパーラウンジが使えるようになったり、付帯保険が付いたりする。AEONラウンジというのも使えるそうな。あのスーパーにそんなスペースがあったとは……。

長年の利用者であるにもかかわらず置いてけぼりの妻には家族カードを申請してやることに。

昼餉は、フードコートでずんだ餅。

注文の古書が届く。若菜晃子著『東京甘味食堂』(講談社文庫)。

AEONがらみはもうひとつ。レジゴーというサービスは2年前から始まっていたらしい。我が家のそばのAEONでも使えるようになったことを妻から教えられる。

カートに備えた専用端末で買うものをスキャンしていき、支払いはそのデータをAEONの決済システムにアップロードして決済する。専用端末のほかに手持ちのスマートフォンにアプリをダウンロードすると同じことができる。できてあたりまえだと思っていたことが21世紀もだいぶ過ぎて追いついてきた。もっとも、それはデジタルデバイスを知らなければ手も足も出ない。

今年、僕らは独裁者の横暴に振り回された。偏執者でもある彼らは、誇大妄想であり猜疑心の塊でもある。ドナルド・トランプからこちら、21世紀は平衡感覚の喪失に覆われている。民主主義は、それを巧妙に装って羽化すると偏執者や誇大妄想者だったという擬態を生み落とすことがある。とんでもない世紀だと気づいた。

世紀が変われば、なにかが変わる――それこそ妄想かもしれない。僕らは同じことを繰り返している。受け入れがたいロジックが蔓延る。それはもと来た道だ。

なにかが便利になると、なにかを失う。確かなものはわずかしかない。絶対的な確かさは、僕らはいつか死ぬというあたりまえのことくらいかもしれない。

夕餉は、温かい蕎麦、チーズハンバーグ、玄米ご飯、ウィスキー・オンザロック。食後にほうじ茶、クッキー。