みょうが噺

 

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。16度。北風が吹く。

7時に起きる。

朝餉は、ブルーベリージャムとヨーグルトをかけたバナナ、味噌汁(大根・人参・ネギ・油揚げ・豆腐)、ハム・ピーマンのモッツァレラチーズトースト、アールグレイ。

妻と散歩、コンビニでコーヒー。駅東口からのコンコースは市役所の新庁舎3階につながっている。ドアの先は市民に開放されたワークエリアになっていて満席なのだった。ほとんどが学生で、街に図書館が少ないせいかと。

NHKの囲碁トーナメント。高尾紳路9段と大竹優7段は最後まで息づまる戦い。高尾さんの手厚い打ち筋が中押し勝ちへと導く。

昼餉は、昨夜の鍋のスープで卵を落としてネギを散らしたうどんを妻とわけあう。

 

水上勉『土を喰う日々』より――

 

「むかし釈尊の弟子に周梨槃特という聖者があって、生まれつきもの覚えが悪く、しかももの忘れするくせがあった。自分の名前すら忘れることがあるので、首から名札をかけていたそうである。悟りをひらくまで人一倍の苦行をつんで世を去ったが、この聖者の墓地にはえた植物がみょうがであったという」

『山菜歳時記』からの孫引きだが、シュリハンドクという僧の名は経に出てきた記憶がある。迦葉尊者とか、阿難尊者とかいった人は、高弟だったそうだ。が、シュリハンドクは末弟子だったことになる。しかし、「悟りをひらくまでに人一倍の苦行をつんで世を去った」というのならたいしたものだと思う。何も早く悟りをひらいていいものでもない。それだけ苦行の時間がみじかくてすんだことになるだけのはなしで、遠道して悟りにたっするけしきもわるくない。ながい苦労を経ても至った彼岸が悟り世界なら、これはこれで立派なはなしで、早く悟った人たちが、悟り世界にあきがきて、また凡庸の道へもどるころに到着するのもいいだろう。そんな聖者もいていい。

 みょうがが、そういう人の墓地に繁茂して出たのなら、私は、どこやら、地球のぶつぶつみたいに、筍状に頭をもたげるこの妙な蕾を尊いと思う。時間をかけて悟るやつを馬鹿と誰がきめたか。効率を急ぐ思想が、仏教にあるとは思えないが、イソップ話にでも、ゆっくり歩いたカメが兎に勝つはなしがあったはずだし、新幹線よりも旧東海道線のほうがいいという人を誰が指さすだろう。

 

夕餉は、里芋のにっころがし、麻婆豆腐、味噌汁(大根・エノキ・人参・ネギ・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯、ウィスキー・オンザロック。食後にルイボスティー、ピーナッツ。