乖離をほったらかして

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。15度。

8時に起きる。

プチ断食の朝餉は、ブルーベリージャムのトースト、ルイボスティー。

ワイドショーは、昨夜のワールドカップ初戦の模様を同じように伝えている。

試合後の観覧席を掃除する日本人や選手控え室をピカピカにして去った日本チームのことを賞賛する外電まで伝えている。ただただ恥じ入る。

ポイ捨てのゴミを拾う人がいなければ、この国の道はゴミだらけだ。綺麗好きはこの国の特性とは思えない。捨てる人は減らない。

日本人にまつわる心象の乖離は、僕らを苦しめる。質素に生きたいが、食レポだらけのテレビを見ているとそのために費やすエネルギーを思う。ただただ恥じ入る。

ジョギング、7.38キロメートル。強い西風。

本を求める。道元著『典座教訓 赴粥飯法』(講談社学術文庫)。

古典の敷居は高い。古文を読む教育を受けたのに、主語なんかが省かれた文章を前にするとたびたび立ち止まる。時間をかけて文字を追うのも、今だからこそと思う。

台所に立つようになって典座教訓がやっと近くに感じられる。それとも、もっと遠くに感じるのだろうか。どうやら後者の気がする。

夕餉は、サツマイモと玉葱・エノキの豆乳味噌スープ、ブリーベリージャムのトースト、ルイボスティー、柿ピー。

便利なことはうんざりだ。端折ることを競ってどうする。時間が足りないと嘆くのはみっともない。僕らはいつからそんなふうになったのか。小さな画面を見て、なにかを検索したりして。その目を外へ向けたほうがよほど目のためだ。

なにが得でなにが損か、なにが徳でなにが不徳か――そういう目で暮らすのは、うんざりだ。