あるいは、戦う

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。16度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、味噌汁(カボチャ・玉葱・人参・油揚げ・豆腐)、ハムとチーズをのせたバゲットのトースト、ウェハース、ザクロ酢ジュース、フルーツルイボスティー。食後にコーヒー。

ジョギング、10.59キロメートル。

Inshow-haの『Wanna』を繰り返し聴きながら走る。ミュージック・ビデオがよくできている。昨夜、YouTubeで巡り合い、その味わいにひっくり返ってしまった。この国の若い女性の深層に流れている、退廃と言っていいものか、諦観のような達観のような、でも徹しきれない若さの発露が垣間見える。

希望に満ち溢れているといういかにも嘘っぽいイメージを、どのように嘲笑うべきか。押し付けられた垢を拭うだけでもげっそりなところだが、それはそれで得難いのかもしれない。夢とか絆とか誰だってうんざりしているのだが。

Inshow-haのビデオには戦争のイメージがよく出てくる。ぶっ壊しても別にいい。そんな牙が垣間見えるのは清々しい。

Netflixの独占でエドワード・ベルガー監督の『西部戦線異常なし』を。ルイス・マイルストン監督が映画化してアカデミー作品賞を取ったのは1930年だが、今回は監督もドイツ人で、原作のエーリヒ・マリア・レマルクとともにドイツ人の手になる映画ということになる。

物語の起伏は、スピルバーグ監督『プライベート・ライアン』に酷似している。というよりも、戦争物の映画に固有の起伏というべきだろう。僕らのどこかにその起伏が擦り込まれているのは不思議なことだ。

レマルクの原作がその起伏を内包しているとは思えない。映画とはやっかいなものだとあらためて感じる。

夕餉は、カボチャと大根の煮物、朝の味噌汁の残り、カレーライス、ウィスキー・オンザロック。食後にコーヒー、歌舞伎揚。