ぼやくのはどうかと……

 

 

 

 

 

 

 

 

おおむね晴れ。15度。

7時に起きる。

朝餉は、蜂蜜とヨーグルトをかけたバナナ、ウィンナーソーセージと目玉焼き、味噌汁(サツマイモ・玉葱・人参・ネギ・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯。食後にコーヒー、ウェハース。

クルマで彦根の花屋へ。妻に贈る花束を注文。

長浜の美容院へ。いつものツーブロック。短めにカットを。

昼餉は、豆乳をかけたシリアル、歌舞伎揚、コーヒー。

ジョギング、8.03キロメートル。

古書を求める。兼好法師著『新訂 徒然草 西尾実・安良岡康作校注』(岩波文庫)、水上勉著『沢庵』(中公文庫)。

岩波という出版社は実に特異である。なにしろ、著者名が表紙にないのだ。校注者の名前が著者であるかのように掲げられている。徒然草が例外というわけではない。重ねるが、実に特異である。

なにはともあれ、兼好さんはこんなことを記されている。

 

 何事も、古き世のみぞ慕わしき。今様は、無下にいやしくこそなりゆくめれ。かの木の道の匠の造れる、うつくしき器物も、古代の姿こそをかしと見ゆれ。

 文の詞などぞ、昔の反古どもはいみじき。ただ言う言葉も、口をしうこそなりもてゆくなれ。古は、「車もたげよ」、「火かかげよ」とこそ言ひしを、今様の人は、「もてあげよ」、「かきあげよ」と言ふ。

 

こんなことを700年前にぼやいていた。今の乱れようを嘆く人はナイーブと言わねばなるまい。世情を嘆くのは、よほど世事に疎いと白状しているようなものだ。徒然草の段立てにはいつくかのパターンがあるものの、昔は良かったね式の説教臭はうっとうしい。

一方で、人物や物事における兼好さんの素描は生き生きとして面白い。心のありようは、いまとすこしも変わらない――と、読み込んだようなことを書く自分に恥じ入ったりして。

夕餉は、ツナ、カボチャと大根の煮物、朝の味噌汁の残り、玄米ご飯、ウィスキー・オンザロック、ザクロ酢ジュース。食後にコーヒー、ウェハース。