都合のいいこと

 

 

 

 

 

 

 

曇り、パラつく。17度。

7時に起きる。

朝餉は、キャベツを添えた目玉焼きとハム、味噌汁(玉葱・人参・油揚げ・豆腐・小松菜)、マヨネーズとチーズを乗せたトースト、豆乳、コーヒー。

鉛筆は、50年前のほうが断然いい。墨が枯れている。木にまつわるモノは、おしなべてそうだ。

ところが、時間などという概念はヒトが勝手に作り出したもので、この宇宙に時間は存在しない。便宜としてのジカンを作り出したところから、ヒトはヒトになったと思う。

樹齢千年の木がある。ヒトはそれを神さまに見立てる。神々しさを感じるのは、概念の及ばぬ時間が宿っている生き物だからだ。200年先まで建ち続ける家というだけで、その家は価値が高まる。太い梁を見上げて、そこにもいわく言いがたい空気を読む。

僕らの都合はさておき、外界には時間というものは存在しない。こう書くと、何を馬鹿なと思われる。だが、時間は存在しないと唱えながら、そのことに想いを巡らせてみるといい。そこに横たわっている茫漠を、僕らは想像できるだろうか。

永遠というのは、ヒトが作り出した究極の都合だ。時間を超えている状態。そんな都合さえ、ヒトは用意しておく。それがもたらす精神衛生の存在さえ、ヒトはどこかで感知している。

僕が恐ろしいと感じるのは、時間をこれほど都合良く組み立てておいて、僕らは、そこに身を投じてなお、時間の体系を最後まで疑わずに生を終えていくことだ。疑わないことが、狂気を遠ざける。

嫌になるほど、僕らは拘束されている。そのうえで、自由を求めている。つくづくめんどくさい存在だと思う。

昼餉は、豆乳をかけたシリアル。

気温が上がらず。肌寒く、予報が大きくはずれるのは久しぶりのこと。

体育の日だとばかり思っていたら、スポーツの日だそうな。ゴルフ、駅伝、野球、サッカー、Xゲーム――さまざまな中継や録画をソファーに寝そべって。

夕餉は、ナス・ピーマン・キャベツ・玉葱・合い挽き肉の中華炒め、焼き鮭、味噌汁(玉葱・人参・小松菜・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯、ウィスキー・オンザロック、コーヒー。