それとわかる狂気の存在

 

 

 

 

 

 

 

晴れ、のち雨。26度。

7時に起きる。

朝餉は、夏野菜の南蛮漬け、味噌汁(玉葱・人参・キャベツ・油揚げ・豆腐・竹輪)、ガーリックバタートースト、キウィ、ミルク。食後にコーヒー。

妻は、クワイアの稽古やらシニアチームのアテンドへ。夜に戻る。

ジョギング、8.5キロメートル。雨が降る前から少し涼しい風が吹く。

Netflixのドイツのドラマ『Kleo』は、ベルリンの壁が崩壊する前後の女工作員の話。筋書きはありがちなのだが、体制崩壊した東ドイツの公務員たちの様子を描く。主人公を演じるイェラ・ハーゼの個性がドラマの陰影を濃くしている。

今となっては誰もがわかっていることだが、イデオロギーの対立というものは最初から存在しなかった。東側はつねに、為政者と一部のテクノクラートに都合の良い管理体制だけがいびつに根を張っていただけのことだった。今の中国はその残滓といっていい。

共産党による一党独裁がこの世紀に生き続けていること自体が怖いことだが、それに類する国家が世界の半分を占めていることや、民主主義がいつの間にかナショナリズムの温床になって狂気を育んでいることも含めて、将来の危うさは20世紀の東西対立の比ではない。

このドラマに描かれている東側は、見ようによっては呑気なものだと思う。錯綜した今の世界は、一部の政治家が好きなように振る舞って国家を歪め続ける。西も東もあったものではない。ただ個人の狂気があるだけだ。

ヒトラーに等しい狂気が、この瞬間にも平静を装って蠢いている。

一人の夕餉は、惣菜コーナーで求めた鳥の手羽先揚げ、即席の味噌ラーメン、海苔巻きといなり寿司。食後に歌舞伎揚とアイスクリーム。