あきらめていること

 

 

 

 

 

 

晴れ、のち曇り。33度。

7時に起きる。

朝餉は、梅肉とキュウリの胡麻和え、カボチャの塩バター煮、ナス・ピーマン・鶏胸肉の中華炒め、味噌汁(玉葱・人参・油揚げ・豆腐・ネギ)、玄米ご飯。食後にコーヒー。

微熱が続く。注射した腕が痛むと言われているモデルナのワクチン。まさにそのとおりで。反応がしっかり出たのは慶事だが、熱に弱い僕は午後遅くまでタオルケットにくるまり、イモムシのごとく甲子園を見続けた。

今大会は大差がつくカードが多い。10点差のゲームがこれほど多い甲子園はあったろうか。それと、熱中症で倒れる子が目立つ。

原因はいくつか考えれるけれど、エラーの数がこれほど多い大会も珍しい。ワケは誰でも導くことができる。

妻の買ってきたあんこ餅を食べて、解熱剤を飲んでから楽になる。

BA.5に効き目のあるワクチンをファイザーとモデルナがこの10月にも供給するとメディアが報じている。BA.5がその頃でも猛威を振るっているのか、タイミングについて懐疑的な見方がさっそく出ている。

ジタバタしないで、手っ取り早く感染した方がいいかもしれない、と若者がなかば諦めたような諦観で状況を見ているのも無理はない。海外の状況を見ていると、若者における無症状とか軽症の割合は高齢者の比ではない。

妻の作った夕餉は、味噌汁、焼きそば。食後にアイスクリーム。

姉は両親と暮らし続けたので、想像もできない想いを持っている。僕は18の時、家を出てから両親のことがわからなくなった。両親も僕のことを同じ思いで見ていたのではないか。ある意味で、両親と僕の記憶は止まっている。両親の記憶の中の僕は、本来の僕なのか。変わってしまう前の僕なのか。変わったのか、変わらないのか。全部なのか、一部なのか。

僕らは、互いをどんな記憶を手繰り寄せて見ていたのか。答えのないことをぼんやり思う。

病院へ担ぎ込まれるたび、僕は帰郷して両親の病床に付き添った。時に二人して歩いたし、取り止めのないことをほんの少し口にした。両親の輪郭はぼんやりしたままで、きっとそのままで終わってしまうのだと諦めている。