晴れ。26度。
7時に起きる。
朝餉は、レタス・キュウリ・トマトのサラダ、ウィンナーソーセージと目玉焼き、味噌汁(シメジ・小松菜・油揚げ・豆腐・玉葱・人参)、トースト、紅茶。食後にコーヒー、チョコレート。
月島へ。借りているトランクルームの様子を見に。骨董品のようなコンピュータやシンセサイザー、レコード、書籍、寝具や家具を入れたまま20年以上が過ぎた。廃棄するモノは軽トラック1台ぶんくらい。それ以外は、家のそばにもう少し安いのを借り直そうかと。
倉庫から5分ほどのところにある江戸漆の老舗店に寄って、妻が先っぽを折ってしまった青黒檀の箸の削り直しをお願いする。これも20年近く使ってきて、折れてから数年になる。当時から爺さんだった職人は変わらず仕事をされていた。
青黒檀の箸は、妻の作ってくれた弁当に使っていたもの。
月島を訪れるのは何年ぶりだろう。高層ビルの狭間に古い家並み。東京湾へ流れ込む運河に漁船が舫でいる。変わらないものが変わりつつあるものに沁み込んで、なにかを諭しているようだ。
夕餉は、カボチャと厚揚げの煮物、味噌汁(ジャガイモ・小松菜・油揚げ・豆腐・玉葱・人参・シメジ)、カレーの残り、ウィスキー・オンザロック。かりんとう、ジャスミン茶。
『アフリカの日々』より――
ヒューはある夜突然、デニスにうってつけの墓碑銘が頭にひらめいたのだと話してくれた。おそらく古代ギリシャの作品なのだろう、彼はギリシャ語でその言葉を引き、それから英語になおして教えてくれた。
「死にあたり、火はわがむくろを犯せども、われ心にとめず。今はすべてのもの、われにとりて良ければ」
後にデニスの兄ウィンチェルシー卿が、墓の上にオベリスクを建て、そこにデニスが大好きだった『老水夫行』からの言葉をきざませた。デニスが暗誦してきかせてくれるまで、その詩を私は知らなかった。はじめてそれをきいたのはビレアの結婚式に出かける途中のことだった。私のそのオベリスクを見ていない。それが建てられたのは、私がアフリカを去ってからのことだった。
イギリスでもデニスを記念するものがつくられた。学友たちが彼の思い出のために、イートン校の二つの運動場のあいだを流れる小川に石造りの橋をかけた。片側の手すりにはデニスの名と、イートン校在学の年度がきざまれ、もう一方にはつぎの言葉がきざまれた。
「この運動場にかつて名をはせ、多くの友に愛されし人」
イギリスのおだやかな風景のなかの小川と、アフリカの山地の尾根とのあいだに、デニスのたどった生涯の道がある。その道が曲折し、常軌を逸していると見えるのは目の錯覚である。彼をとりまく環境のほうが常軌を逸しているにすぎない。イートン校の橋の上で弓絃は放たれ、矢はひとつの軌跡をえがいて飛び、ウゴング丘陵のオベリスクにあやまたず命中した。
ディネセンがどれほどデニス・フィンチ=ハットンという男を想っていたか。第5部の中心をなす「3 丘陵の墓」は、読んでいると立ち止まっては目を遠くにやるような瞬間の連続だ。もっとも驚くべき部分は最後に書かれているが、あえて割愛。