硬度の高い言葉のつながり

 

 

 

 

 

 

晴れ。8度。

8時に起きる。

朝餉は、バナナ、リンゴジャムを塗ったロールパン、ミルクティー、煎餅。

『天文日記』(石田五郎著)より抜粋――

 

 一七八一年の三月十三日は火曜日で、この夜一〇時すぎにウィリアム・ハーシェルは双子座の一隅に天王星を発見した。

 ウィリアム・ハーシェルは、一七三八年、当時イギリス領であった西ドイツのハノーヴァで軍楽隊のオーボエ奏者の子として生まれた。幼時より父から音楽を仕込まれたウィリアムは、一七歳で父のあとを継ぎ音楽隊のオーボエ奏者となった。しかし、翌一七五六年にはじまった七年戦争に従軍して健康を害し、五七年には単身イギリスに渡り、音楽教師として身をたてるかたわら、天文学に専心した。天文学・数学は三五歳をすぎての独学である。

 一七七三年、はじめて長さ二フィート(六〇センチ)のグレゴリー型反射望遠鏡を自作した。当時の反射鏡は銅七一パーセント、錫二九パーセントの合金をみがいて作った。表面が曇ればまた研磨しなおすのである。昼間は七、八人の音楽の弟子をとり、夜は観測にはげむという生活がつづいた。

 一七七六年に完成した口径一二インチ(三〇センチ)、長さ七フィート(二・一メートル)の反射望遠鏡がウィリアムの運命をかえた。このころの彼は二重星の研究に熱中し、この新作の望遠鏡で星空をくまなく二重星をさがし、この夜、頭上高く上った双子座H星のそばに光度六等の円板状の天体を発見した。はじめはこれが彗星であろうと考えられていたが、その後の観測によりA・J・レクセルが詳細な計算をし、これが土星の二倍の半径でまわる新惑星であることが明らかになった。

 当時のイギリス国王ジョージ三世はさっそくハーシェルに年金二〇〇ポンドを与えた。またオクスフォード大学からは学位が授与され、王位協会の会員に推薦された。日月五星ということばがあるが、大むかしから知られていた五惑星に、さらに新入りの仲間を加えようというのである。ウィリアム・ハーシェルは国王の名をとり、ラテン語でGeorgiumSidus (ジョージの星)と命名した。しかしドイツやフランスの天文学者はこの命名に賛成せず、ギリシア神話からUranus(天王星)の名をかりた。

 

 科学者の文章は簡潔にして混濁なしだが、そこになぜ詩情が読み取れてしまうのか、皆目検討がつかない。何度読み返しても、これは詩ではないかとさえ思う。私情というものが混入していないのにもかかわらずである。

夕餉は、野菜とウィンナーソーセージを炒めた塩ラーメン、ウィスキー・トワイスアップ、シリアル。

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