Virtual Insanityで思うこと

 

 

 

 

 

 

 

おおむね晴れ。15度。

8時に起きる。

コーヒー。

遅い朝餉は、ベーコンと目玉焼き、味噌汁(玉葱・人参・シメジ・油揚げ・豆腐・葱)、ご飯、柿。

Jamiroquaiの「Virtual Insanity」を聴いていた。Jason Kayが札幌の地下街から発想を得て作った曲、というのはもはやトリビアにもなっていないだろうか。

それがJamiroquaiでもJay Kayでもいいのだけれど、この曲のリズムパートのバウンシーな感じと歌詞の結びつきは、音楽が持っている祝福の源から流れ出る元素の一つなのだと思う。そういう実例がこの世には無数にあって、これからも流れ出てくるのだろう。

音楽にある祝福の源が、ほかには見当たらないわけが僕にはわからない。Virtual Insanityの持っている棘は、祝福の源とはおよそ対極にあると思うのが普通の感性だろう。だが、そんな分かりやすいものが源ではないことも僕らは承知している。音楽の持っている、ある意味では底知れぬ恐ろしさは、だから僕らを虜にするのだと思う。

夕餉は、豚バラと野菜のオイスターソース炒め、味噌汁(玉葱・人参・シメジ・油揚げ・豆腐・葱)、ご飯、ウイスキーオンザロック、柿。

10時過ぎ、妻が戻ってくる。名古屋まで高速バス、そのあとは東海道線を使った。行きと同じくバスは混んでいたと。もう、元通りっていう感じ、と。