感じたこと

 

 

 

 

 

 

 

晴れ。20度。

7時に起きる。

コーヒー。

朝餉は、二十日大根の浅漬け、サツマイモのシュガーバター炒め、ほうれん草の胡麻和え、大根・厚揚げ・コンニャクの煮物、鶏ひき肉の豆腐ハンバーグ、味噌汁(玉葱・ラディッシュ・人参・シメジ・油揚げ・豆腐・ネギ)、ご飯。

最大野党の党首が辞任するという。政権交代を本気で目論んでいたとは思えない。小選挙区比例代表という制度は、今の政党状況にはそぐわない。わかっているのに、なぜ無理筋に挑んだのだろう。その心情を推し量ることはできない。

中道左派の軸足がいつからか揺れていた。極左の政党と選挙協力してから、本質はまったく見えなくなった。国民は中道左派という位置の妙味を期待しているのに、彼が掲げたのは左寄りの左派だった。力学音痴だと吐露してしまったように見えた。見誤ったことに最後まで気づいていなかった。ぽっかり空いた中道左派より少し右派という味のある椅子を占めたのは、大阪地盤の政党だった。

こんな時代に左派とか右派とか、時代錯誤も甚だしいけれど、そんな構図を持ち込んだのは辞任を表明した党首本人だった。極左の政党と手を組んだのだから。

オリンピック開催前の頃、国会を招集しろと野党の議員は騒いでいた。コロナ禍の対策を新たに予算化するには国会だと本気で訴えていた。なんと叩かれ弱い連中だと、誰もが思ったことだろう。

国家予算の策定と実施のタイミングについて何もわかっていないのだと自白しているようなものだった。だから舐められるのだということを、彼らはまだ知らないままだと思う。

物事の「進み方」と「進め方」くらい頭に叩き込んでおいてほしい。それが被選挙権を行使できる最低限の資格だ。

台所に立っている妻に、一昨日のモデルハウスを見て、思ったことや感じたことをあれこれ話した。端的に言って、やっと見つけたと思った。そのことを言葉にした。

これまで付き合ってもらった大手のハウスメーカーも中堅の工務店も、坪単価に見合った家を設計・施工していた。定められた基準数値をクリアして、少しでも上のランクを目指している。さまざまな素材を組み合わせて、魅力的な空間を競っていた。だが、どの家も住みたいと強く思わなかった。

逆に、見終わってからひどく疲れた。その原因がわからなかった。

昨日のモデルハウスに足を踏み入れて、その原因がわかったような気がした。応対してくれた社員も途中から加わってくれた社長さんも、数値や専門用語を振り回さなかった。その代わり、ゼロエミッションに基づいたエコシステムの未来には朴訥ながら時間を割いてくれた。彼らがその手で建てたモデルハウスは、手入れを怠らなければ100年以上持ち堪える立派な柱や梁が支えていた。もっと先の時間さえ、その家は見つめているようだった。

木材と漆喰でできた家——僕らの肌に直接伝わってくるものを端的に表す言葉が見つからない。僕はそのことが嬉しかった。言葉が出ないということを、僕は受け入れていた。はじめて、なんとかして住みたいと思った。どの家より坪単価は高かったけれど、狭くてもいいじゃないかと思った。

僕は妻の料理を邪魔していた。それくらい、熱が入っていたと思う。

妻の作った夕餉は、卯の花煮、クリームスープ、キーマカレー。