知らない世界

 

 

 

 

 

曇り、ときどきパラつく。21度。

6時に起きる。

冷たいほうじ茶、コーヒー。

寒気が流れ込んでいる。日差しが恋しい。

長袖のシャツを羽織って、麻のショートパンツよりスウェットパンツ——そういう日が増えていく。

犬とか猫の臭覚とか聴覚がヒトの何万倍も敏感だという事実を思い返すたび、彼らの棲む世界が僕らとまったく違うのだと戒める。髭の鋭敏さもぜんぜん違うのだろう。

コロナに感染していることを嗅ぎつけるという世界は、どんなことになっているのだろう。その鮮やかさを覗いてみたい。彼らが見ている僕らは、僕らが見ている彼らとどれくらい別物なのだろう。

彼らが嗅ぎつけている僕らの正邪は、己のことをわかっていると思い込んでいる僕らの正体とはずいぶん異なっているにちがいない。

昼餉は、卵焼き・ウインナーソーセージ・レタス・マヨネーズを挟んだバゲット、豆乳、ほうじ茶。

どれくらい利己的なのか、それが臭いからわかる。どれくらい慮っているのか、それが声からわかる。リーダーとしてどれくらい腹が据わっているか、はっきりと嗅ぎ分けている。

それらのことに無頓着な僕らは、彼らにとってひどく滑稽に映っていることだろう。

なんだかとても忌まわしいのに、平気でいられるなんて、と呆れていることだろう。彼らとともに暮らすことは、捉えきれていない世界の存在があることへの戒めなのだと思う。

彼らには、僕らを癒す力がある。それは実際の力であるにちがいない。彼らがそなえている言葉のようなもの。僕らがまったく感知できない、でも厳然として存在している力。

殺処分される犬たちは、そのことをはっきりと捉えている。僕らがそう決めて彼らと対峙した瞬間から、犬たちはその決めたことをなんらかのカタチで正確に受け取っている。どういう力によってかはわからないけれど。

僕らがわかっている世界の、その矮小さを思う。

わかったつもりになっていることの恐ろしさを思う。

想定内とか言っている、その傲慢さを思う。

夕餉は、冷奴、切り干し大根、妻の作った夏野菜と豚バラ肉のハヤシライス、冷たいほうじ茶。

 

 

 

 

 

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