ほじくり返す

 

雨、午後いっぱい止む。26度。

静かに降る雨の気配が気持ちいい。そのまま目を閉じていると、遊覧飛行の中へ。

7時に起きる。

麦茶、コーヒー。

自宅の台所がどうなっていたのか、すっかり忘れている。コーヒーの器具を目の前にして呆然とする。帰宅のたび、同じことを繰り返している。

あれ、コーヒーはどうやって淹れていたっけ?

おや、この圧力釜に水はどれくらい?

えーと、パン粉は何処に?

うーん、こんな切れ味だったっけ、この包丁……

無意識を意識へと転換する数日の営みがあってのち、その意識はまた無意識へと帰っていく。

昼餉は、レタスを添えた餡かけ蓮根揚げ、堅焼きそば、梅肉の混ぜご飯、麦茶。

ジョギング、8.78キロメートル。いつもの公園の周回路で、桂の甘い香りに包まれる。

本を求める。カルロ・ギンズブルグ著、杉山光信訳『チーズとうじ虫(原題:Il Formaggio E I Vermi)』(みすず書房)。手に入れられるのは、書物復権プロジェクトあったればこそ。当事者の皆さんに深謝。

著者のこころざしの発露は冒頭の文章に的確に表されている。

 

——以前には、歴史家は「国王たちの事跡」しか知ろうとしないといって責められたものである。たしかに今日では、事態はそのようではない。歴史家たちは以前の歴史家で会ったら沈黙するか敬遠するか、あるいはたんに無視してすませていたようなことに、よりいっそう取り組んでいる。ブレヒトの「読書する労働者」はずっと以前にすでに、「ギリシャのあの七つの門をもつテーベの都市を建設したのはだれか」と問うていた。歴史の資料はこれら名もない石工たちについてはなにも語っていない。けれども、この問いは依然としてその重さを保ちつづけている

 

もう何年かすると、復刊はとても高い障壁となって聳え立つ(今でさえそうなのだけれど)。僕らは、その到来を少しでも時の彼方に押しやらなければと思う。科されているのは、本という商品を経済システムに載せ続けるため、高い値段を甘受する覚悟のありや無しやかと思う。

夕餉は、冷奴、切り干し大根煮、ピーマンの鶏ひき肉のはさみ揚げ、味噌汁(玉葱・人参・エノキ・油揚げ・豆腐)、玄米ご飯、酎ハイ、麦茶。

救うのは図書館というシステムかもしれないけれど、ほとんどの図書館が品揃えに大きな偏りがあることは今さら指摘するまでもない。

 

 

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