辺境の地で

 

曇りのち晴れ。25度。

7時に起きる。

朝餉は抜き。コーヒー。

妻はペダルを漕いで、義兄の畑へ。

札幌の姉から夕張メロン2個。返礼の電話。声に力のなくなった母と話す。大方は聞こえていない。難聴は認知症の大きな原因の一つというが、しっかりしているのがせめてもの救い。

Apple Musicのハイレゾ音源に関する記事が増えた。Bluetoothで聴いてきた人にとって、それは根底から見直しを迫れられる内容だ。誰だって音が良くなると言われれば、聴いてみたくなる。だが、その差がわかる人は意外に少ないし、かけた金に見合うと思う人はさらに少ないと思う。

僕らの耳の能力は、たとえば犬とは比べ物にならないくらい低い。視覚も臭覚もそんなレベルだ。他の生き物は、僕らとはまったく違う世界に棲んでいる。僕らは、世界のほとんどを知らない。だから損をしているとか、それを知りたいとか、そういう話ではない。

植物が知っている外界は、もっとすごい。彼らは、種族として全体感知している物事がある。他の生物に受粉させ、隔てられた地へ種を届け、その地の情報さえ共有しているかもしれない。他の生き物を利用する術を獲得したプロセスは、多くが解明されていないのだ。僕らが、植物の全貌を知る日は来ないだろう。それはつまり、地球をわからずじまいなのだということを意味している。

昼餉は、玉葱のステーキ、野菜のかき揚げ、ざる蕎麦、麦茶。

ジョギング、7.01キロメートル。西北西の風。

16bit44.1kHzの量子化が耳を歪めていく。CDによって音楽はある意味で衰退し、音楽は萎縮したままだ。

わかるわからないは別として、生で聴く音楽はすべてを伝えてくる。ある種の臭覚とか視覚を刺激する。そういう瞬間があることを体験することは、知り得ない世界が広がっているという当たり前の事実に想いを馳せるとば口になる。

ありがたいことに、僕らの五感の辺境には、目眩く世界が広がっている。僕らが知り得ないのは、狂気を避けるための方便とも言える。

夕餉は、冷奴、納豆、レタス・キュウリ・コーン・トマトのサラダ、卵焼き、シュウマイ、味噌汁(玉葱・人参・エノキ・シメジ・油揚げ・豆腐・ネギ)、ご飯。

川上元美さんがデザインした椅子の美しさは、日本人が到達した遠島の景色だと思う。よくそこまで辿り着けたものだ。

 

 

f:id:Tosshy:20210621094137j:plain