曇り、少し雨。26度。
7時に起きる。
朝餉は、中華スープ、バナナ。食後にコーヒー、バウムクーヘン。
強いメッセージを、強いままに描く。
それは、すこしうるさくて、逆に届かない。
囁くように描ければ、それに越したことはない。トーンに気をかければ、届くものの中身も変わっていく。当たり前のことのようで、実はそうでもない。
沈黙は、強いメッセージの最たるもの。忘れ得ぬ刻印を残す。一方で、沈黙を沈黙たらしめているのは、騒音の存在だ。
聞けよとばかりのメッセージのあとの沈黙の怖さを僕らは知っている。相対化によって鮮明になる、物事の妙だ。
宇宙を支配しているのは、絶対の沈黙だ。僕らが、味わったことのない静寂が広がっている。純正の存在がそこにある。世界の金持ちが、最後に目指す絶対性。アジテーターの墓場かもしれないそこへ、彼らは吸い寄せられていく。
触れたことのない静けさは、宇宙服のヘルメットを外さなければ味わえない。その沈黙は、死を意味している。
死を賭さなければ知り得ないとは、どんなメッセージだろう。
昼餉は、妻の作ったキャベツのお好み焼き、麦茶。
ジョギング、8.59キロ。東北東の風。
妻は庭仕事。力加減を知ったのか、けっこうな勢いでノコを挽き、鋏を入れる。黙々とやっている姿は、どこか愉しげ。庭と語らい合っているようでもある。
妻の作った夕餉は、キャベツと大根のサラダ、僕が作った親玉葱のソテー、味噌汁(大根・玉葱・人参・ワカメ)、キーマカレー、赤ワイン。食後に生ナゴヤン、麦茶。
無限の空間の永遠の沈黙は、私を恐れさせる——パスカル(パンセより)。