雨。17度。
7時に起きる。
朝餉は、ウインナーソーセージ・目玉焼き、味噌汁(大根・人参・シメジ・油揚げ・豆腐・ネギ)、ポテトサラダのサンドイッチ、リンゴ。食後にコーヒー。
岳父の庭にツツジが一斉に咲き始めた。白い蕾が雨に打たれている。赤い蕾もはち切れそう。
床に就いてから、ギターの動画を見続けている。さまざまなギタリストやギター講師、それにギター修理職人やギター伝道師。彼らが、フェンダーやギブソンの’50年代や’60年代のビンテージを奏でる。
ギターに挑戦しようかというよりも、それらをただ眺めている。飽くことなく。
ギターという韻に、僕は不思議な力を感じる。ある日、囚われる。ギターの間口の広さは、放浪とか旅の友という、年代を超えて迫ってくる惹句と繋がっている気さえする。
いい歳してというより、いい歳だからこそムクムクと起き出す。そういう時に、数多の動画が熱を逃す手伝いをしてくれる。
動画のプレイヤーの左手に見入る。フレットを押さえる流れるような指先。僕の指に、その動きは期待できない。浮遊するコードを押さえ切れず、何日も何週間も血が滲むくらい時間をかける。その姿を自分の身体に重ねる。
そうやって、自重するのだ。
諦めの作法としての動画。その一連の心模様に、老いの核心が潜んでいる。
昼餉は、マクドナルドでフレンチフライ、チーズバーガー、コーヒー。
姉から電話。母の定期検診で胸のシコリは精密検査をせず様子を見ることに。痛みはないので、良性の可能性が高いという医者の見立て。
食欲は入れ歯の調子とも関連している。歯医者と相談してもらうことに。
シコリが悪性だとしても、母の体力を考えれば治療することもままならない。医者の見立ての背景にあるのはつねに齢だ。
義母の月命日で明日は96回目の誕生日。花束を作ってもらう。仏前に備えたのはガーベラやチューリップ、紫のかすみ草など。
夕餉は、長芋・合い挽き肉・シメジのバター醤油炒め、鯖の味噌煮、味噌汁(大根・人参・カボチャ・油揚げ・豆腐・ネギ)、ご飯。