自分たちも同じだった

 

晴れ。11度。

7時に起きる。

朝餉は、竹輪と目玉焼き、味噌汁(人参・玉ねぎ・キャベツ・小松菜・油揚げ・豆腐)、トースト、リンゴ。食後にコーヒー。

若者は用心深くなっているだけだろうか?

身の回りにあるモノだけで、つましく生きようとしているようにも見える。

生きるに従い、モノが増えていく。コトもそうだ。親やその親の世代を見てきた、ある種の戒めが働いているのか。

近頃は、気に入ったモノだけを揃える。コトに触れる。

——メディアがそう言っている。

なにを気に入ったのか。はっきりわかることは稀だろう。だから、モノゴトは増えないというのか。わからないモノゴトは、かたわらによけておく。ずっとわからないままなら、もちろん買わない。触れない。ある日わかっても、買うとは限らない。触れるとは限らない。

そういうのを知恵というなら、今の若者は賢者かもしれぬ。

昼餉は、中華ラーメン。

今の若者が、親やその親の世代には得体の知れないものに映る。つましく生きていることが、大きな予兆に思える。

溌剌として、前を向いている。今の若者は、その逆に見える。従来の若者という型では、もはや語れない。だから、得体が知れない。

訪れようとしているモノゴトの予兆を、今の若者に嗅ぎ取ろうとする。

えっ、なんすか、それ?

若者には、自覚がない。

いつの時代もそうだったように。

胎動は、うねる前にいったん収縮する。暴発のエネルギーを貯めるかのように。

若者は、かならず、そういう胎動のパターンを背負っている。

得体が知れないのは、若者の専売特許だが、それは今の若者に固有ではない。

ほっとけばいい。そのうち、真逆のことをやりだすかも知れない。やらないかも知れない。

夕餉は、キャベツの千切り添えミラノ風カツレツ、味噌汁(人参・玉ねぎ・小松菜・シメジ・油揚げ・豆腐)、ご飯、ビール。食後に紅茶。

 

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