ミルクセーターの法則

 

おおむね晴れ。12度。

7時に起きる。

朝餉は、きんぴら、鶏ひき肉と大根のトロトロ煮、白身魚のフライの残り、味噌汁(大根・人参・小松菜・ワカメ・油揚げ)、サツマイモご飯。食後にコーヒー、抹茶ドーナッツ。

クローゼットから出てくるセーターに見覚えがない。次から次へ、よくもまあと驚く。

冬が来るたび、ヒトは思うのだ。

「どうしよう、セーターがないぞ」

春が来るたび、ヒトは思うのだ。

「どうしよう、セーターがこんなにたくさん」

そしてある年の冬。ヒトは思うのだ。

「どうしよう、セーターはもう十分みたいだ」

恐るべし。

セーターの法則の、重力のような敷衍性に身もすくむ。

夏になれば、それは、Tシャツの法則へと換骨奪胎する。なんたる柔軟性。

歳を重ね、腰が曲がりはじめると、ヒトは訝る。なぜ、クローゼットはセーターとTシャツで溢れ返っているのだろう、と。それは、誰かの陰謀に違いない、と。

昼餉は、野菜かき揚げをのせた蕎麦、焙じ茶。

僕には、もう一つある。

それが、ミルクローションの法則。

かくして、使い切る寸前のミルクローションがたまっていった過去を振り返る。

だが、老人はもう訝ることはない。ミルクローションはもちろんだが、肌の養生にはベビー用がいいとやっと気づいたからだ。かくして、洗面台にはPigeonのベビーミルクローションが不動の地位を占めることとなる。

ベビー用に間違いなし——これが、ミルクローションの法則である。

夕餉は、大根・厚揚げ・人参の煮物、味噌汁(カボチャ・大根・人参・小松菜・豆腐)、サツマイモご飯。食後に焙じ茶。

だが、ミルクローションの法則は、常にセーターの法則に脅かされている。ミルクローション売り場は、今年も、見目麗しき初見参のボトルが所狭しと並んでいるからだ。

それらを前にして、試供品を試さずにはいられない己がいる。かくして、その両手はさまざまな香りを放ち、ベトベトとスベスベが何層にも重なり、世界中のシアバターとハーブと香料と酸性とアルカリ性が渾然一体となった驚くべき状態へと擬態していく。

どれがいいなんて、誰にもわからない。

ミルクセーターの法則が姿をあらわす。

 

f:id:Tosshy:20201130113243j:plain