語り部

 

晴れ、のち曇り。13度。

7時に起きる。

朝餉は、小松菜と油揚げの煮浸し、大根とカボチャの煮物、焼き鮭、味噌汁(大根・カボチャ・人参・油揚げ・豆腐・小松菜)、ご飯、りんごとバナナのヨーグルトがけ。食後にコーヒー。

『掃除婦のための手引き書』(ルシア・ベルリン著)より——

 

 ときどき母はアリスと連れ立って、彼女の結婚相手を見つけに米軍慰問協会のダンスパーティに出かけた。けっきょくアリスに結婚相手は見つからず、ポピュラー・ドライグッズ百貨店で死ぬまで裁縫をほどく仕事を続けた。

 その同じ「ポピュラー」のランプ売場に、バイロン・マーケルがいた。ランプ売場の主任だった。バイロンはもう何十年もずっとママに死ぬほど恋していた。二人は高校の演劇部でいっしょで、どのお芝居でも主役を張っていた。ママも相当小柄だったけれど、彼が五フィート二しかなかったせいで、ラブシーンはいつも座ってやった。それさえなければ、いずれ有名な俳優になっていただろう。

 バイロンは母をいろんなお芝居に誘った。『ゆりかごの唄』。『ガラスの動物園』。たまに家にやって来て、夜、ポーチのスイングチェアに並んで座った。そうして若いころにいっしょに演じたお芝居のセリフを言い合ったりした。当時わたしはポーチの下に古毛布とクッキー缶に入れたクラッカーを持ちこんで自分の巣を作っていて、いつもそこにいた。『まじめが肝心』。『ウィンボールどおりのバレット家』。

 バイロンはティートタトラー(禁酒主義者)だった。わたしはそれをお茶しか飲まない人という意味だと思った。じっさい母がマンハッタンを飲むあいだ、彼はずっとお茶で通していた。彼が何十年たってもずっときみに死ぬほど恋している、と母に言ったのも、そうしている時だった。僕がテッド(父のことだ)にロウソクを掲げることはできないのはわかっている、そう彼は言った。これも変てこな言いまわしだった。口癖のように言う「まあ、ホーまでの長い道のりさ」もわからなかった。いちど母がメキシコ人のことを悪く言うと、彼は「連中はこっちが一インチ譲っても一インチしか取らないような奴らさ」と言った。困るのは、彼が何を言うにも張りのあるテノール声で言うものだから、言葉の一つひとつがものすごく深遠なことのように頭の中にこだますることだった。ティートタラー、ティートタラー……

 

こんな文章が息つく間もなく並んでいる。とめどなく飛び出してくるのだ。抜き書きしてみると、その非凡さがわかる。

昼餉は、妻の作った卵サンドイッチ、紅茶。

どのページでもいいのだ。それが、なぜか恐ろしい。

 

 エンジェル・コインランドリーはニューメキシコ州アルバカーキにある。アルバカーキ四番通り。場末の商店とゴミ集積場。軍用折り畳みベッドだの靴下片方だけだの一九四〇年の『衛生生活」だのを売る中古ショップ。穀物倉庫に逢い引き用のモーテル。酔っぱらいやヘナで髪を染めたお婆さんが「エンジェル」の客だ。メキシコ系の幼な妻も「エンジェル」に来る。タオル、ピンクの短いネグリジェ、〈木曜日〉と書いてあるビキニのショーツ。その亭主たちのオーバーオールは、ポケットのところに手書きで名前が書いてある。鏡に映った乾燥機の窓に名前が出てくるのを待ちかまえて読むのが、わたしのいつもの楽しみだ。ティナ。コーキー。ジュニア。

 

書き写していると、たまたまだが、文末のパターンに出くわすことがある。なるほど、と思う。

夕餉は、ホタテの醤油バターソテー、焼いたボタンエビ、大根とカボチャの煮物、味噌汁(大根・カボチャ・人参・油揚げ・豆腐・小松菜)、ご飯。食後に煎餅、焙じ茶。

ルシア・ベルリンは、自分をとおりすぎていったことを書いているのかもしれない。だとしたら、彼女の積んだ経験は半端なことではない。

彼女は、いっときも気を抜かずに生きていたかのように、克明に憶えているように思える。どういうことなのか、僕にはそれがわからない。記憶力だか想像力だかわからない、その境界線のところに彼女の文学はそそり立っている。

 

f:id:Tosshy:20201125110741j:plain