すーっ、と。

 

晴れ。17度。

7時に起きる。

朝餉は、大根・キュウリ・ピーマン・ツナのサラダ、スクランブルエッグ、味噌汁(大根・人参・ワカメ・油揚げ・豆腐)、クロックムッシュ風トースト。食後にコーヒー。

クリームコロッケから小麦粉料理が続いている。グルテンまみれで、手がむくむ。もっと言えば、ポストハーベストの影響の方がよほど大きいかもしれない。

大規模農法が犠牲にしていることは、巡りめぐって僕らを犠牲にする。和風の煮物や魚が旨いと感じるのには、ちゃんとした理由がある。別の意味で、グルテンが豊富なものは中毒性がある。体から抜くには、それなりの覚悟がいる。禁断症状は数週間は続くので、覚悟してかからないと負けてしまう。神経質になるのも、どうかと思う。グルテンを完全に抜いたら、それはそれで不自然だろう。

ポストハーベストについては、皮膚の炎症のような形で10年以上も酷い目にあった。完全に治ったのだとしたら、そのわけを僕はわかっていない。いつ再発するかそれもわかっていない。

均衡は簡単に崩れるが、長い時間をかけて修復していく。その力が己に宿っていることを信じた方がいい。何事も、最終的には宿っていることに還っていく。愛おしいのは、善きことの方角が誰に教わるともなしに、わかっていることだろう。

昼餉は、抜き。

働き方とか、食事とか、もっとも身近な物事によって均衡は成り立っている。身近な物事に耳を傾ける、そんなことでしか僕らは自らを護れない。耳を傾けて、言葉とは別のメッセージを感受する。それが、しっかりできるかどうか。

素朴なことほど、難しい。

頬張って、すぐ旨いと感じる。そんな料理がテレビに映っている。わかりやすいことが、危ないことに思える。

他のものと一緒に口に運び、少しずつ食べ、どの料理も食べ終えるころ、やっとわかることがある。

それが積み重なっていく。均衡とは、一皿のことでも、一食のことでもないのだと思う。

夕餉は、妻の作った蓮根のカニしんじょ揚げ、大根・カボチャの煮物、味噌汁(れんこん・大根・人参・豆腐・油揚げ・小松菜)、ご飯。

自分の力だけでは、どうにもならない。

だが、その力を抜きにしては、何事も始まらない。

一筆書きのような、何の衒いもないものに憧れる。

どこまでも、簡素でいいから。

 

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