次なる局面への移行

 

曇り。22度。

7時に起きる。

朝餉は、レタス・コーン・大豆煮・ハムのサラダ、大根・さつま揚げ・人参の煮物、味噌汁(カボチャ・ジャガイモ・大根・人参・揚げ・豆腐・小松菜)、トースト、リンゴ・バナナのヨーグルトがけ。食後にコーヒー。

アーロンテープを求める。洗面所の漏水は、温水の給水管が原因のよう。漏れていると思われる箇所をアーロンテープで固着して様子を見る。今のところは止まっている。

留守の期間が長くなると、不具合が顔を出す。台所のシングルレバーはパッキンが老朽化したせいと思う。こちらは狭い場所に温冷の給水管が隠れているので、素人が手を出すにはややこしい。

電気スイッチはどこもガタが来ているし、窓際のフローリングは湿気を吸って黒ずんでいる。

できるところは、やろうと思う。

遅い昼餉は、妻の作ったトマトの即席リゾット。

TidalのデータをRoonに読み込み、アップサンプリングしたデータをLinnに出力して、FLAC192kHz/24 bitで聴く。それは、ちょっと次元が違う世界だ。もっともTidalのプレイリストは出来が今ひとつなので、SpotifyのプレイリストのURIをコピーして変換ソフト経由でTidalに読み込ませるという手間をかける。そのひと手間などどうということもない、という音質が待っているからだ。プラセボ的でもあるのだが、それを高音質だと言い聞かせているフシもある。

妻の作った夕餉は、大根とさつま揚げの煮物に残り、野菜炒め、味噌汁、ご飯。食後に焙じ茶、クッキー。

量子化はどこまでもいっても近似値である。

飛び飛びの断片を補完しているのは、僕らの脳だ。聴くという行為の本質は、補完ではない。だが、デジタルになってから僕らは常に補完という一手間をしなければいけなくなった。

実際には、無意識に行われている補完を、ひとたび意識してしまったが最後、僕らは呪縛から逃れられなくなる。

補完を補完する——そんなまどろっこしいことをデジタルは強要する。数値が高ければ、強要は苦にならなくなる。そう言い聞かせるのだ。

良い悪いではなく、そういう行為が僕らの脳を少しずつ変えていく。デジタルは脳にとって居心地がいいから、もはや脳は自らを変換することに躊躇はない。

脳は、デジタル化する。もともとそうだった部分が、次第に全体化する。その先の進化については、予測しようもない。

進化は、進歩と同じだと間違われているけれど、進化は別の局面への移行という意味でしかない。それがいつからか進歩と同義になった。

脳の進化は、ひたひたと進んでいる。脳は喜んでいるが、感性はどうだろう。ギャップがあるとしたら、僕らはこれからそのことにひどく悩まされることになるかもしれない。

進歩ではない。ただ進化するだけなのだ。

 

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