おおむね雨。19度。肌寒い。
7時に起きる。
妻の作った朝餉は、ヨーグルトと蜂蜜をかけたバナナ、千切りキャベツを添えた納豆和えの卵焼き、トースト、ミルク、麦茶。食後にコーヒー。
姉から電話。相談に乗る。
昼餉は、塩ラーメン、麦茶。食後にクッキー。
ウイリアム・ワイラー監督『大いなる西部(原題:The Big Country)』。運が良ければ10年後、初めて見るような気持ちでまた観ているかもしれない。誰にとっても、この映画は人生における踏み絵みたいなもの。人生のあらかたを生きたとしても、そのイコンの価値は変わらない。
そうそう、グレゴリー・ペックの右ストレートがへなちょこに見えて仕方ない。物語の核心にはかすりもしない、どうでもいいことですが。この映画でアカデミー賞を取ったバール・アイヴスは、同じ年の『熱いトタン屋根の猫』にも父親役で出ていた。この人が演じる父はどれもいい。
言わずもがなだが、アイヴスの提示する価値こそ米国民の意識の中核にあるものだった。今は、それが揺らいでいると世界から指摘されている。ある種の変奏曲を聴かされている、と僕は感じているのだが、それは耳に心地良いものでは決してない。だが、奏でている側と同等の責任が僕らの側にもあるのだと思う。
何度も同じことを書いているのかもしれないが、前の東京オリンピックが開催された年まで、この国は子どもたち向けの食糧支援を米国をはじめとする国々から受けていた。戦後の復興は、1964年まで続いていたのである。子や親を戦争で失った米国の穀倉地帯の人々は、いつも黙々と働いて支援を続けていた。声なき声と言われた人々の暮らしは決して余裕のあるものではなかった。トランプ政権の一部を支えているのは、その子孫たちだ。黙々と働いて正しいと思うことをやってきたという自負が彼らにはある。
その声を聞いてきたというレポートなり記事を僕はちゃんと読んだことがない。彼らの声は、相変わらず誰も代弁しないのだ。この国のジャーナリズムがへなちょこだと思うのは、そういう歴史をしっかり伝えてくれないからだ。それがとてつもなく哀しい。
夕餉は、ポテトサラダ、絹揚げの卵とじ、豚ひき肉と茄子・しめじ・キャベツ・玉ねぎ・小松菜・人参の中華ポン酢炒め、味噌汁(カボチャ・人参・玉ねぎ・小松菜・ネギ)、玄米ご飯、麦茶。食後にシュークリーム、豆大福。