美学に落とし込むものではない

 

おおむね雨。26度。

7時に起きる。

朝餉は、バナナミルクセーキ、キャベツ・レタス・トマト・ハムのサラダ、フレンチトースト、麦茶。食後にコーヒー。

NHKの将棋と囲碁トーナメント。将棋で強く感じるのは、中盤に差し掛かったところで、対局相手がAIだとしたら、勝負は決してしまっているんだろうなということだ。プロは公開の場でAIと対戦することはこの先ないと思う。今この時も、こっそり戦って、負け続けているのだろう。囲碁も似たようなものだが、これまで否定されていたことが定石として取り入れられていくさまを知るだけでも愉しい。それは、AIと対戦しているプロたちの戦果報告を聞いているようなものだからだ。

将棋も囲碁もヒト対ヒトの戦いはB級リーグになってしまったので、A級リーグを見てみたいと思う僕のような輩もたくさんいると思う。見て呉れもヒトと同じAIが出てきて、ヒトはもうゲームすらできない日が来ないとも限らない。そっくりのゾウとかライオンも登場することだろう。病気になるし、死んでしまう本物は、いかに弱々しくとも気高いかという錯綜の様態によって語られる。そんな日が来る。

将棋も囲碁も、すでに錯綜の様態によって語られて久しい。将棋は特にそうだ。ヒトの対戦だから面白いのだと言われる。ゲームという特殊性が、時代を先取りしているのだ。錯綜の様態がすべてを覆う日はすぐそこに来ている。

昼餉は、菓子パン、コーヒー。

科学の先鋭化がもたらす歪みは、たとえば公害と言われる。公害に追いつくと、次の公害が現れる。川が元に戻ると、今度は空や山が汚れるといった具合に。科学の進歩が止まることは今のところないので、この追いかけっこは続いていく。

現在から近未来にかけての公害のひとつは、ヒトの内側で起きている。遺伝子のレベルとかで。ヒトが産み、育んできた高度なゲームが侵されているというのも公害だろう。どういう形でヒトは病んでいるのか。それはプロに顕著に出てくるのだろうか。その兆候を僕は見ようとしているのかもしれない。

AIがもたらすプラスの面にまずライトが当たる。称賛の声が続いている。だがマイナスの面は必ずある。僕らが生み出した科学性は、必ず両面を持っている。

夕餉は、冷奴、納豆、シーフードと野菜のオイスターソース炒め、味噌汁(人参・玉葱・エノキ・豆腐)、玄米ご飯、麦茶。食後にくず餅。

 

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