だから彼女の物語は面白い

 

曇り、ぱらつく。24度。

7時に起きる。

朝餉は、バナナ、レタス・トマト・キュウリ・竹輪・カニカマのサラダ、クロックムッシュ、アールグレイ、麦茶。

縁側に蟻たちが進入している。ゴマ粒より小さい蟻たちは、どこかに食物の目当てでもあるかのように、あたりをうろついている。妻と二人して蟻たちを捻り潰していると安いっぽい罪悪感が身を包もうとしてくる。

昼餉は、ドーナッツ、コーヒー。

ル=グウィンのエッセイから――

 

 キリスト教徒であるミルトンは、片方に肩入れせざるを得ず、喜劇を避けることができなかった。ただ、崇高で英雄的で、好ましくさえ思えるルシファーの姿を借りて悪をなすことによってのみ、彼は悲劇に近づくことができた。それは見せかけに過ぎなかったが、彼はうまくごまかしおおせた。

 正義は善良な人々を贔屓すべきだと主張したくなるのは、キリスト教徒的思考習慣のせいだけではなく、私たちの誰もが成長過程で感じる困難さのためでもあるだろう。

 結局、「もっとも優れた者に勝たせよ」というのは、「善良な方が勝つ」ということを意味しない。それが意味するのは「えこ贔屓なし、他者の介入なしの公正な戦いだ」ということだ――だから、もっとも優れた戦士が勝つ。狡猾な乱暴者が、ナイスガイを公正なやり方で打ち負かしたら、狡猾な乱暴者がチャンピオンであると宣言される。これが正義だ。だが、それは子どもには耐えられない種類の正義である。彼らは激怒し、「そんなのフェアじゃない!」と言う。

 

年老いた夫とともに、クルマで買い物へ行けなくなったル=グウィンの文章が泣かせる。米国でクルマに乗れなくなることの哀しみはこの国の比ではない。

夕餉は、冷奴、厚揚げ・ナス・ピーマンの南蛮漬け、妻の作った魚介類のクリームシチュー、玄米ご飯、麦茶。

『ゲド戦記』を覆っている正義をル=グウィンはうまく説明している。子どもたちは彼女の物語を読むことで、その正義の飛沫を頭から浴びる。読んだ直後、自分の身になにが起きたのか理解できないかもしれない。それが良いのだと思う。すぐ理解できることなどろくなものじゃない。