観念の身体化

 

おおむね晴れ。29度。

7時に起きる。

朝餉は、ヨーグルトと蜂蜜をかけたバナナ、サニーレタス・コーン・ピーマン・トマトのサラダ、フレンチトースト、ルイボスティ。食後にコーヒー。

まず、レシピを頭に入れる。新米にとっては、体を動かさないかぎり具現化しない。いくつかの料理を同時に作る。具材の準備やら下味作りやらが入り組んでいくときに、やっとレシピが工程となって立ちあらわれる。料理が、料理になる。

脳の活性化する部位の移り変わりがはっきりわかる手触り。左脳なるものから右脳なるものへの移管――日常で、観念の活性を体験できる数少ない瞬間が料理にはあって、それが触れて撫でられるくらいはっきりわかるので、僕はそのたび目眩を起こしそうになる。

不活性だったシナプスの存在がわかるような、そんな感覚。

昼餉は、妻の作ったざるそば。

5キロをジョグ。

走っていると、苦しいエリアから愉しいエリアへ身体が入っていくことがある。苦しさを感じつつも、愉しみのベールがふわりと舞い降りてくる。苦しさは、やろうと思えばその部位が特定できる。だが、愉しみはそれがままならない。湧きあがる高揚は、出所がぼんやりしている。走れば、かならずその感覚が味わえるわけではないので、訪れたときはやったぁとなる。

料理で味わう移管の感覚と、走っているときに訪れる愉しみのベールは、どこかで繋がっていそうな気がする。

夕餉は、冷奴、キュウリ・竹輪・ワカメの酢の物、カボチャの肉そぼろ餡かけ、アジフライの梅しそ巻き、味噌汁(人参・玉葱・小松菜・エノキ・豆腐)、玄米ご飯。

 

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