ここぞとばかり、謝りたおせ

 

 

晴れ、のち雨。20度。

7時に起きる。

朝餉は、大根・サニーレタス・コーン・竹輪・カニカマのサラダ、ミネストローネ、蜂蜜とマーガリン・クレイジーソルトのトースト、ルイボスティー。

妻は、籠っていると行き詰まっていく。交わることで、立ち位置を確かめる。同時代性に勝るものはないとどこかで信じている。共存と個は、分離して考えるべきものではないという本能的な感覚がある。

妻というより、女はみんなそうなのかもしれない。通奏低音としての女性性。

若い頃は、それがわからず議論めいたことを妻とした。

男の通奏低音と括るのは憚られるが、僕とはずいぶん違う。今の状況になると、そういう差異が表に滲み出てくる。

停電の夜に、語り始めた2人の差異を、どうしても乗り越えられなかったというジュンパ・ラヒリの小説があったが、少なからず直面している夫婦があると思う。

昼餉は、妻が作った焼きそば。

夫婦はプリズムだから、どうかすると、日々の暮らしという光線が7色に分離して見えることがある。忙殺される普段に、そのプリズムを仔細に見る時間はない。だが、こういう状況ではそうはいかない。

その7色を美しいと思う時期を通り抜けた2人にとって、それは残酷なものだ。無色の光線だったはずなのに、7色に見えてしまう。

「そんなヒトだとは、思わなかった」

と言われて、あなたはなんと答えたものか。

誰にでもある困惑に、乗り越える薬はない。自分さえ気づかなかった自分を知る。そんな日々でもあるからだ。

妥協して、黙殺して、知らぬふりをする。煮出して、底に残った澱を味わうことはないのだ。

テレビでアナウンサーが言っている。がんばりましょう、と。

克服すべき対象が、煮出されていく。

賢明なる男性諸氏は、とうの昔に実践されている妙薬がある。

それを総動員するのは、今をおいてほかにない。

夕餉は、納豆、切り干し大根煮、焼鮭、味噌汁(人参・玉葱・カボチャ・小松菜・エノキ・豆腐)、玄米ご飯、ルイボスティー。食後にコーヒー、コーヒーゼリー。

日が暮れてから、雷雨。カーテン越しに輝く夜空。轟く雷鳴。

 

謝るとは、感謝の気持ちを、言葉に乗せるという意味です。

 

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