構えて、語らず

 

晴れ、のち曇り。16度。

7時に起きる。

朝餉は、トマト・大根・コーン・サニーレタス・カニカマのサラダ、トースト、ルイボスティー。

働いている頃によく見ていたBSの旅番組は、自転車に乗った火野正平さんが視聴者の思い出の地を巡って、全国を訪れるというもの。今は、コロナ禍のせいで過去のを再放送している。

このあいだ久しぶりにぼんやり見ていたら、彼がたまたま立ち寄った街道筋の喫茶店で、何年も前に番組で知り合った地元の人と、ばったり出くわしている。あらあら、と二人してそれなりに驚くのだが、冗談の一つも交わして、じゃあまた、と別れていく。

その、じゃあまたって、またになってない。それっきりかもしれない。十年の知己みたいな会話だけが、ポツンとそこに残される。

大袈裟な言い方は好きじゃないが、そんな出会いのことを小さな奇跡と呼ぶのではなかろうか。

同時に、日々の全部が、たまたまなのだなぁ、と思ったりする。印象的なシーンではある。

彼の番組ではそんなことが日常だから、あらためて言及したりしない。そういう、ある種の不感症めいた感じが火野正平さんを包んでいるので、見ているこちらまで、いつの間にか、そんなもんかいなという感じなっている。

殊更に、どうのこうの言わない。奇跡めいたことだって、普通に起きて、淡々と過ぎ去っていく。

旅人の心構え、ということが、さらりと描かれている。

昼餉は、妻が作ったかき揚げ蕎麦、ルイボスティー。食後にコーヒー。

昨今は、どんな小さなことでも、針小棒大にして騒ぐ。すぐ、奇跡だと言い募る。自分を芸人だと勘違いしている若者が出て来て、馴れ馴れしく騒ぐのだ。

せっかくの機微も、なんだか胡散臭くなるし、どこか安っぽい。噛み締める間もないし、味わう時間もない。

ごくたまに、火野さんの旅番組に出会すと、こちらまでこんなことを書いてしまい、芸人もどきみたいな失態を演じてしまう。まったくもって、斬鬼に堪えないが、すぐに書き付けないことをもって良しとしたい。

夕餉は、コールスロー、玉葱とチーズのチヂミ風、惣菜モノのイカフライ・サバ味噌煮、味噌汁(人参・玉葱・小松菜・豆腐)、ご飯。食後に抹茶、煎餅。

山下達郎さんが、タワーレコードのインタビューに答えて、以前にこんなことを語っている。

「作り終えたものは過去のものだと、作り出した音楽を、まるで自己排泄のように語る、しかも得意気に言う人もいるじゃないですか。そういう人は、物を作るということに執着していなくて羨ましいですけど、だけど僕の場合はまったく逆で、自分の作品を買って聴いてくれる、第三者に対する表現行為だという意識を、強く持っているので、自分のカタログに対して、とても愛着と責任を感じているんです。自分の作品に執着するのは後ろ向きだ、などという人もいますが、大きなお世話でね。継続的に発売されているカタログというものは、経年変化が起こってしまい、どこかでリニューアルさせないと駄目なんですよね。それに今回の作品のように、シングル作品というのは廃盤になっていきますから、そのままにしてしまうと、世の中から消えてしまうことになる。そういったことへの問題提起と、皆さんに聴いていただくために、自分で必死に保全しているんです」

山下さんは、もちろんだが、そんなことを普段は言わない。黙々と楽曲を作り、それをその時点のもっとも良い音で聴かせてくれる。彼が、良い音ですと言えば、それは間違いないという往還が、僕らと山下さんのあいだにはある。

火野正平さんの旅番組を見ていて、山下達郎さんの言葉をなぜか思い起こした。

共通することはないかもしれないが、強いてあげるとすれば、それは、心構えということかもしれぬ。

 

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