インセクト・ホテルに泊まるということ

 

晴れ。17度。

8時に起きる。

朝餉は、トマトとスライスチーズのカプレーゼ、味噌汁(人参・玉葱・豆腐・小松菜)、女房が焼いたホットケーキ、アールグレイ。食後にコーヒー。

雑味とかノイズとか、僕らは排除しがちだ。

味でも音でも、ピュアとか純度と聞いただけで、なんだか嬉しくなる。でも、雑味とかノイズが排除できると考えるのは妄想のようなものだ。

ご時世なので、消毒とか滅菌に気を配る。でも、僕らはしょせん雑菌の塊だ。

雑味とかノイズは、得てして豊穣につながっている。旨味の成分になっていることの方が多い。牛のオシッコを香水の成分に使っている高級ブランドを引き合いに出すまでもない。

雑味がなくてノイズのないものは、詰まらない。味気ないし、薄っぺらい。不思議なことに、すぐ飽きてしまう。

僕らは、常に雑味やノイズとの付き合い方を問われる。それが、暮らしの真ん中にあると言ってもいい。

雑味やノイズをどう取り込むか。それが、純度の実体を手に取ることにつながっている。

昼餉は、サバカレーの残り。

午後、強い風。桜吹雪。

庭造りには、インセクト・ホテルが欠かせないという。様々な昆虫を庭に呼び寄せるために、彼らのための家を作る。アブラムシがいなければ、てんとう虫は庭にやって来ない。アブラムシを食べ尽くせば、てんとう虫は去っていく。常に、その均衡を手探りするダイナミクスが働いている。それを生態系と呼ぶのは、ダイナミクスが中核にあるからだ。

生態系を維持するために、その小宇宙を庭に種として落とす。

益虫だけの生態系は成り立たない。害虫がいなければ、益虫は生きられないのだ。もっと言えば、益とか害とかという自然の摂理には何も寄与しない価値体系を持ち込むと、なぜか、持ち込んだ主体がいちばん困り果てる。その行く末には、絶滅という顛末が往々にして待っている。

ウイルスが世界を席巻するのは、拡大する一方の種に、均衡をもたらそうとするダイナミクスの要請かもしれない。

僕らは、ウイルスを撲滅しようとしている。闘っているのだと。やがて、抗ウイルス剤が作られる。その副作用は、かならずある。

そして、副作用が次のウイルスを生成する主成分の一つになることもある。ダイナミクスの連鎖はとても長い鎖なので、どこかに切れ目を作ると、かならずどこかで破綻を起こす。その繰り返しによって、僕ら生きている。

経済活動とは、そういうことの総称なのだと思う。

夕餉は、冷や奴、キュウリ・ワカメ・カニカマの酢の物、味噌汁(人参・玉葱・小松菜・エノキ・豆腐)、スパゲッティ・ナポリタン。