プライオリティのわかる人間

 

雨、のち曇り。15度。

9時に起きる。

朝餉は、ミルクをかけたシリアル、味噌汁(玉葱・人参・豆苗・ネギ・小松菜・豆腐)、トースト。食後にコーヒー、ドーナッツ。

書き忘れた昨日のこと。緑内障でも保証してくれる保険を担当の方がいくつか挙げてくれる。女房はその一つを選んで申し込んだ。

申し込んでみなければ可否はわからないが。

昼餉はコーヒーとドーナッツ。

――A River Runs Through Itより抜粋

 弟とわたしは、できることなら、釣りの楽しみをそぎかねない準備段階のこむずかしいテクニカルなことはいっさい省いて、直接、川へ出かけ、二、三匹釣ってみることからフィッシングの練習を始めたかったが、おやじがわたしたちにフライ・フィッシングの秘伝を伝えようとしたのは、ただそういった楽しみを味わせるためだけではなかった。おやじが本当に言いたかったのは、真の意味でのフィッシングを知らない人間に魚を釣らせたりして、魚の名を汚すようなことは絶対許すべきないということだった。したがって、私たちも海兵隊式に、また長老教会派的に、フィッシングの秘伝に迫るよう求められていた。あらかじめフライ・ロッドの扱い方をマスターしないかぎり、人間ってやつは生まれつき救いようのない存在であることを、わたしたちは、まず事実として、そしてまた、神学的にも、学ばなければならないのだった。

 

夕餉は、キャベツと玉葱の卵とじ、味噌汁(人参・大根・豆苗・ネギ・豆腐)、豚バラと野菜の焼きそば。食後にコーヒー、ドーナッツ。

ノーマン・マクリーンの名著は、ある種のアメリカ人に向けて、地味ながら強力な影響を及ぼし続けている。その文章に触れれば、即座に呼応する準備のある人々がいる。それはアメリカ人に限ったことではないのだが、それでもなお、ある種のアメリカ人には霊力をもって訴えかけてくる。

そこには、プラグマティズムの原初的な有り様が示されていると思う。

僕らは、実際に釣ることによってフライ・フィッシングの何たるかを学ぶことこそプラグマティズムと考えがちだ。マクリーンはそれを巧みに否定して、父はフライ・ロッドの扱い方のマスターを求めたと書いている。川にわけ入って得る体験より、ロッドの扱い方を優先する。アメリカが育んだプラグマティズムの真髄がそこにある。