当時でさえ1万ドル

雨のち曇り。6度。
6時に起きる。
朝餉は、さつま揚げと野菜のポン酢炒め、みそ汁(大根、人参、かぼちゃ、玉ねぎ、豆腐、ネギ、えのき、ワカメ)、トースト、ミルク。
女房の出勤日で弁当を。
XeroxのPARCで生まれたAltoの末裔がMacだとしたら、その親にあたるLisaを僕は持っている。倉庫に眠っているのは10 MBという当時としては大容量のHDDを内蔵したモデルだが、まだ動くのかわからない。倉庫の扉はこの30年というもの開いたことがないのだ。
Lisaがいかに先進的であったか。コンピューティングにおける衝撃はMacの比ではない。クルマが買えるくらいの値段だったが、Lisaに触れるということは人智の鋭角な一端に触れるということと同じ意味に思えたものだ。あの時の衝撃に比べたら、iPhoneiPadは玩具に毛が生えたような代物だ。
昼餉は、弁当おかずの残り、トースト、ミルク、シリアル。
時々、レンタル倉庫の奥にレコード・アルバムや本なんかと一緒に眠っているLisaのことを思い出す。大きな筐体の優美な曲線とか、エンゲルバートの発案が初めて市販として人類の目に触れることになったマウスとか、最高のタッチを実現していたキーのクリック音とか。
Lisaの具体的なインターフェースの思い出が、体に刻まれていることを僕は慈しむ。
夕餉は、キャベツと玉ねぎ、ツナのサラダ、おでん、ご飯、赤ワイン。食後に抹茶二服と桜餅。
それは叡智が叡智のまま姿を現したもっとも純度の高い工業製品であり、新しいとか古いといった時空に囚われることのない、形而上なるものが具象化した稀有な存在として、流山の暗い闇の中に眠っている。僕はいつかその扉をあけて、やあ、と声をかける日を楽しみにしている。
ちなみに、eBayでは完動品が5万ドルだという。