ある意味では確信犯

 

晴れ。18度。

6時に起きる。

朝餉は、ヨーグルト、キュウリとカニカマの酢の物、豚バラ肉とナス・パプリカ・玉葱・人参の中華炒め、味噌汁(大根・人参・玉葱・大根の葉・豆腐・ネギ)、ご飯。

札幌へ手紙。誕生日に撮った両親との写真を6葉ほど同封する。予報によれば、彼の地は今週にも初雪らしい。

映画は、トッド・フィリップス監督『Joker』。主演のホアキン・フェニックスはアカデミーの主演男優賞を獲るかもしれない。力演している。

映画は世界中で称賛されているし、興行収入は最短で1000億円を超えるかもしれない。脚本はだが、薄っぺらい。映像も薄っぺらい。狂気を孕んだ孤独についてなら、43年前の『Taxi Driver』の陰影ははるかに濃い。救いようのない境遇を描いているようで、実はそうでもない。社会に対する怒りでもないし、己の矛盾に対する怒りでもない。両方では、もちろんない。

悲惨さを描き切れていないと感じるのは、悲惨ではないからだ。悲惨を装っているのは、もっといけない。

アメリカ映画がここまで描いた、と語る評論家がいるとしたら、彼(ないし彼女)の目は節穴だ。主人公が最後にいみじくも吐露しているように、これは喜劇かもしれない。

昼餉は、抜き。

モダンな感じのおばあちゃんが何人か観ていたけれど、エンドロールが流れるやさっさと席を立ったのは、ある意味、正しいと思う。ジョーカー物は、どれも出来がいいといわれているが、ほんとだろうか。

夕餉は、カボチャと大根の煮物、豚バラとキャベツ・玉葱・パプリカの中華炒め、味噌汁(大根・人参・玉葱・エノキ・豆腐)、ご飯、赤ワイン。

曰く言い難いカタストロフィを『Joker』で味わったという人が世界には少なからずいる。見当違いであるにもかかわらず、そういう受け取り方を否定していない映画なのだと思う。そういう、意図しないようで意図している混乱にこの映画は誘う。

 

 

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