おそれ、おののけ

 

曇り、ときどき日差し。33度。

7時に起きる。

朝餉は、ヨーグルトをかけたバナナ、キャベツとレタス、コーン、トマト、ピーマン、玉葱、カニカマのサラダ、味噌汁(人参、玉葱、サツマイモ、ズッキーニ、豆腐、エノキ)、トースト、紅茶、豆乳、麦茶。食後にアイスコーヒー。

縁側の机は座ってられなくなる。

食卓で試験勉強に励む女房は汗だくだ。壊れたエアコンの代わりの扇風機もタイマーが動かないとか。ま、それでもまだ回っているが。

昼餉は、殻付きピーナッツ、食パン半切れ、麦茶と葛餅。

分業が進むと、真っ先に「食」が手から離れていく。都市生活者のあなたは豚や牛、鶏の屠殺をたぶんやったことがない。最初に屠殺が手から離れたのは、血や骨の始末に困ったからだろうと思う。屠殺では、おびただしい血が流れるのだ。

高度な分業が、実態を見えなくしていく。社会は、美しくあらねばならないと錯覚する。法律で何重にも守られている暮らしでは、理不尽なことが起きると「あってはならないこと」と言われるようになる。細断化されただけのことで、基本的なことはなにも変わっていないのだが、高度に分業が進むと、その高度化が特別な力のように思えてしまう。

子牛の肉を家族で食す。30ヶ月後に屠殺されると知らず、子牛はこの世に生まれ落ちる。ほとんどの肉はだいたいそうだ。

UNICEFがCMを流している。栄養失調の赤ん坊にはもう時間がないと。1日100円の募金でその子が助かると。

一方で、おびただしい家畜が肉として生まれ、肉として出荷されていく。

日々は繰り返され、新しいと言われる価値が作られていく。だが、おおもとのところでは、何かが変わったわけではない。

多くが死に、多くが生まれる。

夕餉は、ニラ玉、ズッキーニや茄子のラタトゥイユ、玄米ご飯、麦茶。食後におはぎ。

大暑らしい日々――片時も忘れずに生きるのはむずかしいことだろうか?

 

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